大学入学者選抜方法の改善のために、1979年度(昭和54)から1989年度(平成1)まで全国的規模で実施された統一試験。正式名称は「国公立大学入試選抜共通第一次学力試験」。1960年代には大学進学率が急上昇したが、それとともに特定の大学・学部への志願者の集中傾向により競争がいっそう激化した。その結果、学力検査中心の選抜方法が強化され、また高校の学習指導要領から逸脱した出題なども現れ、高校教育が知識中心の受験準備教育に陥るような弊害を生じてきた。このため1970年ごろから、国立大学協会、大学入試改善会議、全国高校長協会などを中心に、国公立大学の入学試験制度の改革が検討された。その結果、1977年度には共通一次試験のための大学入試センターが発足し、数回の試行テストののち、1979年度入試から実施されることとなった。共通一次試験は1月に5教科7科目についてマークシート方式で実施され、3月に各大学ごとの二次試験が行われた。各大学は両者の結果をもとに入学候補者を選抜することとした。その後この制度の存続をめぐって、各種の改革案が検討された結果、1990年度から「大学入試センター試験」制度に継承されて、国・公・私立大学のすべてに自由な利用を認めることとなった。
[真野宮雄]
1979(昭和54)年度から89(平成1)年度まで実施された,国公立大学の統一一次試験。正式名称は国公立大学共通第一次学力試験(日本)。大学入試センター試験の前身。新制大学発足後は各大学の個別試験による入学者選抜が基本だったが,進学希望者の増加に伴って受験競争が激化し,入試問題において高等学校の学習指導要領から逸脱した難問奇問の続出,高等学校における教育活動への悪影響といった弊害が生じた。このため,国公立大学の入試制度の改革について,ドイツのアビトゥーアやフランスのバカロレアのような全国的な統一試験の実施を望む声が高まり,国立大学協会,大学入試改善会議,全国高校長協会などを中心に検討された。この結果,共通一次試験の準備機関として大学入試センター(日本)が発足し,数回の試行テストを経て実施された。5教科7科目をマークシート方式で解答。二次試験は各大学で個別の試験を実施した。国公立大学に一期校・二期校の区別があり2回受験が可能な時代は終わり,受験機会が1回に限られることになった。私立大学の参加もなかった。入試一元化により,偏差値に基づく大学の序列化が強まったとされる。
著者: 齋藤千尋
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
…大学入試の激化(特定大学の入学難),大学全体とくに進学者の80%を引き受けた私立大学の研究・教育条件の悪化などの深刻な事態が生み出されている。79年に大学入試の合理化をめざして国・公立大学共通一次試験が実施され,毎年33万人前後の学生が受験した。なおこの試験は90年以降,臨時教育審議会の答申により,〈大学入試センター試験〉と改称され,私立大学でこれに参加する大学も増えつつある。…
…その第1は,中学校,高等学校での学業成績は,それぞれ個々の学校内での相対的な位置を示してはいるものの,学校差がある場合には,その側面が把握できない,第2としては,とくに大学入試のようにいわゆる浪人が受験する場合,浪人期間中の学力の水準向上がとらえられない,などがそのおもな点である。
[共通一次試験]
現在の日本では,高等学校への入学者選抜では,入学試験の成績と中学校での調査書の両者を組み合わせて,総合的に判定する方式が,一般的にはとられている。また大学,短大への入学試験は,第2次大戦後これまでさまざまな変遷をたどってきたが,国公立大学の場合には,1979年より共通第一次試験が導入されるに伴い,全国の国公立大学が協同して実施する共通第一次試験と,各大学,学部が実施する第二次試験の組合せによって,入学者の選抜を行う方式がとられるようになった。…
※「共通一次試験」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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