試験制度(読み)しけんせいど

日本大百科全書(ニッポニカ) 「試験制度」の意味・わかりやすい解説

試験制度
しけんせいど

一定の問題を課し、それを解く能力によって、人の能力を判定する手続を試験という。試験制度とは、この手続をさまざまに組み合わせ、志願者のうち適格と認められる者に対し、一定の地位や資格を付与する仕組みをいう。試験制度は、入学や進学などの学校教育の領域、就職や職業資格などの職業の領域で発達してきたが、本項では入学試験制度について記述する。職業資格などに関する公的な試験については、「国家試験」の項を参照されたい。

[桑原敏明・広瀬義徳]

入学試験制度

入学、進学の制度は、長い間、試験制度と重なり合ってきた。しかし現在は、これらを別個に考えることが必要である。入学・進学制度には、
(1)なんらの試験も選考もない自動進学制、
(2)入学試験を課さずに、下級学校における平素の評価や記録に基づく進路指導制、
(3)入学試験を有力な判定資料とする入学・進学試験制、
があるからである。たとえば、小学校では(1)の自動進学制が常態である(国により、また同じ国でも特定の国立・私立学校などで入学試験制をとることもある)。義務教育の延長に伴い義務教育学校となった前期中等学校(日本の中学校)も(1)をとることが多い。厳格な入学・進学制を伝統としてきた中等学校(2段階に区分されるようになったのちの後期中等教育も含む)は(3)の試験制から(2)の進路指導制、さらに(1)の自動進学制へと移りつつある。いまでは、高等教育、とくに大学のみが入学試験制を堅持する唯一の教育段階であるが、あとに述べるように、その完全な維持は崩れつつある。これは、入学試験が志願者の能力判定という側面と、合格者への入学特権付与という側面をもち、前者における一面性と後者における教育機会の制限機能とが非難されてきたからである。

[桑原敏明・広瀬義徳]

高校入試制度

日本では、高等学校以上の教育機関で、原則的に入学試験制度を維持している。

[桑原敏明・広瀬義徳]

沿革

1948年(昭和23)に発足した新制高等学校は「中学校修了後更に学校教育を継続しようとする者を全部収容することを理想とする」(1947年、文部省学校教育局「新学校制度実施準備の案内」)とあり、総合制、小学区制、男女共学制のもとで希望者全員入学を目ざしていた。ただ、当時の日本の経済事情から、この理想をただちに実現することは不可能であったので、「志願者数が収容可能数を超える場合には、入学者の選抜を行う」(1948年、学校教育局長通達)こととされた。この場合も、「新制高等学校においては、選抜のための如何(いか)なる検査も行わず、新制中学校よりの報告書に基いて選抜する」(同通達)とあって、先の分類でいえば、(2)の進路指導制だったのである。しかし、数年足らずして、総合制、小学区制、男女共学制とともに、この方針は転換された。法的にも、1956年の学校教育法施行規則の改正により、入学者選抜のための学力検査を、高等学校を設置する地方公共団体の教育委員会が行うこと、選抜にあたっては中学校から送付される調査書(いわゆる内申書)などと学力検査の成績が判定資料とされるべきことが定められ、1963年の改正により、志願者数が定員に満たない場合でも選抜を行うべきことが定められた。高等学校のランク付けが顕著となるにつれて、高校入試制度は大きな社会問題となってきた。単独選抜か総合選抜か、学力検査教科目の数と種類、学力検査と調査書などとの比重関係、調査書の様式、学区制や学校群など論議と試行が重ねられているが、問題の根本的解決には至っていない。

[桑原敏明・広瀬義徳]

今後の課題

文部省(現文部科学省)は、1999年(平成11)4月、高等学校の入学者選抜についての報告書「高等学校入学者選抜の改善等に関する状況」を出した。改善措置として、具体的に(1)推薦入学の実施、(2)受験機会の複数化、(3)学力検査の実施教科の傾斜配点、(4)学力検査の実施教科のくふう(一部の学校・学科等における異なる取扱い等)、(5)調査書の活用のくふう等(学校・学科等の特色に応じた傾斜配点の実施等)、(6)面接・小論文・作文、(7)実技検査等の活用、(8)入学定員を区分した異なる方法・尺度による選抜方法の実施(受験機会の複数化を除く)、(9)通学区域の見直し、などをあげ、改革の一定の進捗(しんちょく)状況を確認しているが、やはり少子化現象が進むなかでは、根本的に選抜制度そのものの存在意義が問われざるをえなくなっている。その点、同年12月16日に出された中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」でも、高等学校入学者選抜について、次のように触れている。初等中等教育局長通知は、1963年(昭和38)には「高等学校の入学者の選抜は、……高等学校教育を受けるに足る資質と能力を判定して行なうものとする」(「公立高等学校入学者選抜要項」)との基本的考え方を示したが、高等学校進学率94%に達した1984年には、「飽くまで入学者選抜が設置者及び学校の責任と判断で行うものであること」を明確にしながらも、他方では、それが「一律に高等学校教育を受けるに足る能力・適性を有することを前提とする考え方を採らないことを明らかにした」(「公立高等学校の入学者選抜について」)ものであったと位置づけており、今後、そのような趣旨がさらに徹底されることを明確にした。

 ここからも、現在、障害をもつ生徒や外国人なども含めて、すべての入学希望者が希望する高等学校への進学を保障されるよう、適切な後期中等教育機関の整備・拡充が必要とされていることがわかる。とくに今後は、高等教育機関への接続を視野に入れた進学準備的側面の改善が期待されると同時に、それのみに限定されない成熟期社会における市民教育的側面および職業教育的側面の充実が、高等学校教育の積極的な役割期待として改めて注目されている。その点とかかわる動向として、1990年代後半以降、通学区制度の弾力化とあわせて、都市部を中心に関心の高まっている学校選択制度の導入の動きがある。この動きは、過度な高等学校間格差を維持したなかで、一部の高階層・高学力の生徒を対象としたエリート校づくりを助長する一方、不本意就学者を大量に受け入れざるをえない課題集中校を残すような結果を招く危険性があり、拙速な実施に先だち、より慎重な議論が求められている。教育機会均等理念の実現の観点から、また、前記の現代的な高等学校教育の課題を担う立場にたって、すべての高等学校入学希望者への公正かつ効果的な教育を保障すべく、改めて高等学校全体を視野に入れた教育制度・内容の抜本的な改革を進める必要がある。

[桑原敏明・広瀬義徳]

大学入試制度

日本の大学入学制度は、一貫して試験制度を軸として展開された。しかし、試験制度に伴う諸問題が顕在して、以下のように幾度かの変遷があった。

(1)明治の初めから中期に至る、各大学(旧制高等学校を含む)で行う入学試験のみの時期
(2)1902年(明治35)から大正にかけて、受験生の増大や学校格差に対応して総合選抜制や二班試験制(受験機会を二度与える)が試みられた時期
(3)1927年(昭和2)から第二次世界大戦の終戦まで、入試中心教育の弊害に対処して、学科試験(筆記試験)、調査書(報告書)、口頭試問人物考査)、身体検査による総合判定制度とした時期
(4)第二次世界大戦後の学制改革から1954年(昭和29)まで、アメリカにならって進学適性検査を加え、口頭試問を廃した時期
(5)その後1978年(昭和53)まで、2期制(国立大学を1期校、2期校に分け、二度受験の機会を与える)を導入し、事実上学科試験一本の時期
(6)1979年(昭和54)以降の全国の国公立大学受験生に共通一次試験を課する制度の時期
(7)1990年(平成2)以降の大学入試センター試験制度の時期
[桑原敏明・広瀬義徳]

共通一次試験

共通一次試験制度は、一面で受験生の学力について共通の尺度を提供するというメリットを伴うが、そのことが逆に受験生の大学・学部選択の基準をその成績(偏差値)に置かせるというデメリットを伴った。

[桑原敏明・広瀬義徳]

大学入試センター試験

大学入試センター試験は、1985年の臨時教育審議会の第一次答申を契機に、従来までの過度な受験競争の緩和や学歴社会の弊害の是正などのために、共通一次試験にかわって実施されるようになった試験である。分離・分割方式が導入された国公立大学に加えて、私立大学にも部分的な(一部の教科・科目に限定した)利用者を含めて参加大学が増加してきており、これにより受験機会の複数化が進んでいる。分離・分割方式とは、試験や合格発表をA・B(ごく少数C)群に分離して行い、同一学部の定員を前期と後期に分割して行う方式のことで、1997年度より国立大学で完全実施され、公立大学では、1999年度より原則実施されるようになった。

[桑原敏明・広瀬義徳]

その他の試験制度

その他、注目すべき入試改革の動向としては、AO入試アドミッション・オフィス入試)や社会人特別選抜などの導入があげられる。前者は、志望者のそれまでの学習履歴や今後の学習計画を尊重しつつ、直接的には、学力検査ではなく小論文や面接などを通した、ていねいな選抜をする入試方法の総称である。受験学力の偏重傾向から脱却して、多様な可能性と豊かな個性を発揮する学生を積極的に受け入れていく趣旨にたった運用が模索されている。しかし、少子化に伴う高等教育機関への入学希望者数の減少期を迎えて経営難に直面する大学・短期大学の一部には、いわゆる「青田買い」の方便として同入試方法を利用しているとの批判もあり、前記趣旨に即した導入の拡大と運用面での改善が重要な課題となっている。

 後者の社会人特別選抜については、生涯学習社会を実現していく観点から、また、変化の激しい産業社会における人材育成という観点から、高等教育機関への社会人の積極的な受入れが進められている顕著な例である。教育機関を修了していったん職業についたのち、ふたたびより高度な職業技能・知識の獲得を求めて、あるいは新しい人生設計にたった自己実現のためなど、多様な教育ニーズをもった社会人に対して、それまでの社会経験を尊重しながら、一般の大学入学者選抜とは区別して、おもに小論文や面接、一部英語などの試験科目を課して特別に選抜し、大学へのアクセスを保障するものである。社会人特別選抜をはじめ、1991年から制度化された編入学特別定員枠や学位授与機構(現、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構)の創設も含めて、広い意味での生涯学習システムの導入が進んでいる。

[桑原敏明・広瀬義徳]

諸外国の動向

試験制度には二つのタイプがある。資格試験と競争試験とである。前者は、受験生の数に関係なく、試験の結果一定の能力水準に到達していると判定される者はすべて合格者となるのに対し、後者は、試験の結果の水準にかかわりなく、上位者から順に定員以内に位置する者を合格者とするのである。

[桑原敏明・広瀬義徳]

欧米の試験制度

日本の入学試験制度は競争試験を前提とするが、日本の教育制度の範となったイギリス、フランス、ドイツなどの大学入学試験(それぞれ、GCE、バカロレア、アビトゥーアという)は資格試験であり、その合格者は自由に大学、学部に在籍登録をすることができる。これらの国の制度は、(1)全国または地区ごとに行われる共通外部試験である、(2)この試験の準備教育を行う正規の学校(中等学校。それぞれ、シックス・フォーム、リセ、ギムナジウム)で履修した者を対象とする、(3)合格者は全国のどの大学、学部にでも登録することができる、などの特徴をもつ。これらの国における改革は、(2)に関し、受験資格をオープンにすること、(3)に関し、大学の所在地域や学部の専門性と合格者の調整を図ること、さらに入学資格試験に合格していない者に大学入学の機会を与えることなどである。

 第二次世界大戦後の日本に大きな影響を与えたアメリカでは、歴史の古いヨーロッパ型の私立大学は独自の入学試験を行うが、州立大学は、(1)ハイ・スクールの校長の推薦による、または(2)大学入試協会(CEEB)の実施する進学適性検査やアチーブメントを主要な判定資料とする。いずれの場合も、集めうる限りの多様な判定資料を加味する方向にあり、かつ、定員制をとらない州立大学では収容能力を広げて条件を満たす志願者を全員入学させようとしている。入学後の学習過程で常時能力を判定すればよいという考えである。大学の開放という点でもっとも進んでいるのはスウェーデンである。そこでは、高等学校を一定の成績以上で卒業した者のほか、年齢、学歴を問わず、職業歴4年以上および英語の学習能力の二つの条件を満たす志願者は全員大学に入学することができる。

[桑原敏明・広瀬義徳]

社会主義国の試験制度

なお、中国を含む社会主義諸国では、学力のほかに、受験者の思想性・政治性が必要資質として最優先され、実務経験者や模範者、辺境出身者・少数民族、軍・政府・警察幹部の子供などには、優遇入学のルートが設けられる。また、後期中等教育修了が大学入学要件の原則であるが、そこにおける人材育成は、国家・社会の目的実現のために定められている点に大きな特色がある。しかし、社会主義国家としての体制を転換した旧ソ連や旧東ドイツはもとより、今日の代表的な社会主義国家である中国でも、1980年代後半以降は、「改革開放」政策を推進する立場から、公教育の規制緩和・自由化ないし市場原理導入が試みられている。たとえば、以下の大学入試制度改革が課題とされるまでに至っている。

〔1〕大学入試制度のモデルを改革して、学生募集・選抜機能を政府機関から大学へ移す。

〔2〕統一試験の出題は中央政府の考試センターが行い、採点を地方政府の考試局が実施する機能は残すが、その他の機能や権限は可能な限り大学へ移す。

〔3〕学生募集権限と入試科目の必須(ひっす)科目以外の選択権を、中央政府の教育部から大学へ移す。

 しかし、いまはまだその運用の実質的責任は主として中国共産党の指導下の中央政府にあり、各大学の役割は、中央集権型の大学制度・政策形成や大学入学者の合否判定に代表が参加する程度である。いずれにしても、伝統的な試験制度を軸にした入学制度は、根本から見直されつつある。

[桑原敏明・広瀬義徳]

『増田幸一ほか著『入学試験制度史研究』(1961・東洋館出版社)』『全国進路指導研究会編『選別の教育と入試制度』(1973・民衆社)』『大田堯著『入試制度改革論』(1982・総合労働研究所)』『中島直忠編著『世界の大学入試』(1986・時事通信社)』『鈴木敦子著『変わる日本の学校制度――入試のない進学を』(1996・近代文芸社)』『浜林正夫・石川喩紀子・深山正光・細井克彦・山口和孝編『これでいいのか、大学入試』(1998・大月書店)』『小野博著『大学「AO入試」とは何だ』(2000・毎日新聞社)』『中島直忠編『日本・中国 高等教育と入試――21世紀への課題と展望』(2000・玉川大学出版部)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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