冀東防共自治政府(読み)きとうぼうきょうじちせいふ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

冀東防共自治政府
きとうぼうきょうじちせいふ

日本の関東軍が中国の河北省 (冀) 東部につくった傀儡 (かいらい) 政権。 1935年 11月 25日冀東防共自治委員会が成立し,12月 25日冀東防共自治政府と改称。管轄地域は塘沽 (タンクー) 停戦協定による非戦区 18県を含む 22県で,人口は約 600万,首都通州,政務長官は殷汝耕で,五色旗を掲げた。日本品の密輸入を公認し,36年輸入港4ヵ所を指定し低関税を実施した (冀東貿易) 。このような日本の露骨な収奪に対して抗日機運はますます高まり,日中戦争開始直後,通州保安隊による日本人虐殺事件が発生。通州事件後,首都は府山に移ったが,38年2月1日北京の中華民国臨時政府に合流して解消した。

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百科事典マイペディアの解説

冀東防共自治政府【きとうぼうきょうじちせいふ】

1935年―1938年,中国河北省東部にあった日本の傀儡(かいらい)政権。冀は河北省の略。1935年11月に殷汝耕(いんじょこう)が日本の関東軍と結んで中央離脱をとなえ,冀東22県と察(チャハル省)3県を管轄する冀東防共自治委員会の樹立を宣言,同年12月に冀東防共自治政府と改称して政務長官の地位についた。管轄は冀東22県として面積8200km2,人口628万人を数え,首都は通州。1935年より日本はこの方面でアヘンなどの密輸を行って南京国民政府の非難をあびてきたが,1936年2月,冀東政府が対日輸入港4港を指定して,5月からは中央の関税の4分の1にあたる査験料を徴収することとした。これが冀東貿易で,南京国民政府との対立はさらに深まった。しかし1937年には冀東貿易額は激減,結局,南京政府が冀察方面に毎月100万元を送金することで冀東貿易を廃止するとの妥協に達した。自治政府の活動はかえって保安隊将官・兵士の抗日化を強める結果となり,1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化すると通州で保安隊の反乱が起きて在留日本人約200人が殺された(通州事件)。こののち政府は唐山に移って池宗墨が長官となったが,同年末には冀東貿易も廃止され,翌1938年2月政府も北京の国民政府に合流して解消した。

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世界大百科事典 第2版の解説

きとうぼうきょうじちせいふ【冀東防共自治政府】

日本軍が1935年に中国の河北省東部の非武装地帯を中心に作らせた傀儡(かいらい)政権。冀は河北省の略。この年日本は華北工作を推進したが,塘沽(タンクー)停戦協定による非武装地帯(戦区)は,日本軍が画策する絶好の舞台となった。中国国民政府が11月に幣制改革を断行すると,日本軍はこれに対抗して華北〈自治〉の強行をもくろんだが成功せず,日本に接近して勢力をのばした戦区督察専員の殷汝耕(妻は日本人)に働きかけて11月25日に冀東防共自治委員会の樹立を宣言させ,五色旗を掲げた。

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大辞林 第三版の解説

きとうぼうきょうじちせいふ【冀東防共自治政府】

〔「冀」は河北省のこと〕
1935~38年、中国河北省東部にあった日本の傀儡かいらい政権。首都は通州、長官は殷汝耕いんじよこう。日本商品の密貿易の窓口となった。

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世界大百科事典内の冀東防共自治政府の言及

【華北工作】より

…11月には親日派の汪兆銘外交部長が狙撃されて下野し,その直後に国民政府はイギリス人財政家リース・ロスF.W.Leith‐Rossの援助で幣制改革を成功させ,中国の経済的統一を促進した。日本軍は華北の軍閥をとりこもうとしたが成功せず,悪評高い殷汝耕を主席に11月に非武装地帯を中心に冀東防共自治委員会(12月,冀東防共自治政府と改称)を作らせた。国民政府は殷を国賊として逮捕令を出したが,日本との衝突をさけるため12月に河北・察哈爾両省と北平(北京),天津両市を管轄する冀察政務委員会を作り,第29軍長の宋哲元を委員長とした。…

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