冀東防共自治政府(読み)きとうぼうきょうじちせいふ

改訂新版 世界大百科事典 「冀東防共自治政府」の意味・わかりやすい解説

冀東防共自治政府 (きとうぼうきょうじちせいふ)

日本軍が1935年に中国の河北省東部の非武装地帯を中心に作らせた傀儡かいらい政権。冀は河北省の略。この年日本は華北工作を推進したが,塘沽(タンクー)停戦協定による非武装地帯(戦区)は,日本軍が画策する絶好の舞台となった。中国国民政府が11月に幣制改革を断行すると,日本軍はこれに対抗して華北〈自治〉の強行をもくろんだが成功せず,日本に接近して勢力をのばした戦区督察専員の殷汝耕(妻は日本人)に働きかけて11月25日に冀東防共自治委員会樹立を宣言させ,五色旗を掲げた。国民政府は殷を免職し逮捕令を出した。同委員会は12月25日に冀東防共自治政府改称したが,その管轄区域は戦区を中心とする22県で,首府を北平(北京)城外の通州に置いた。冀東の渤海沿岸は日本からの密輸入の舞台であったが,36年2月に冀東政府は低率の査験料を徴収して密輸入を公認し,人絹,砂糖をはじめ大量の密輸品が天津の日本租界を経て中国各地に流入した(冀東貿易)。アヘン麻薬密売も盛んに行われた。これらの収入の一部は日本軍の工作費に使われた。中国の関税収入は激減し,中国企業や外国の貿易業者も打撃をうけ,抗日運動をおし広めた。西安事件後の37年に日中国交調整が企てられると,冀東政府の存在がその最大ガンとなり,日本側からも廃止論が唱えられた。日中戦争が本格化した7月29日の未明に冀東政府のおひざもとで通州事件が起こって殷は失脚し,秘書長の池宗墨が長官となり,首府は唐山に移った。やがて日本軍占領下に中華民国臨時政府が作られると,冀東政府もこれに合流した。
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百科事典マイペディア 「冀東防共自治政府」の意味・わかりやすい解説

冀東防共自治政府【きとうぼうきょうじちせいふ】

1935年―1938年,中国河北省東部にあった日本の傀儡(かいらい)政権。冀は河北省の略。1935年11月に殷汝耕(いんじょこう)が日本の関東軍と結んで中央離脱をとなえ,冀東22県と察(チャハル省)3県を管轄する冀東防共自治委員会の樹立を宣言,同年12月に冀東防共自治政府と改称して政務長官の地位についた。管轄は冀東22県として面積8200km2,人口628万人を数え,首都は通州。1935年より日本はこの方面でアヘンなどの密輸を行って南京国民政府の非難をあびてきたが,1936年2月,冀東政府が対日輸入港4港を指定して,5月からは中央の関税の4分の1にあたる査験料を徴収することとした。これが冀東貿易で,南京国民政府との対立はさらに深まった。しかし1937年には冀東貿易額は激減,結局,南京政府が冀察方面に毎月100万元を送金することで冀東貿易を廃止するとの妥協に達した。自治政府の活動はかえって保安隊将官・兵士の抗日化を強める結果となり,1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化すると通州で保安隊の反乱が起きて在留日本人約200人が殺された(通州事件)。こののち政府は唐山に移って池宗墨が長官となったが,同年末には冀東貿易も廃止され,翌1938年2月政府も北京の国民政府に合流して解消した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「冀東防共自治政府」の意味・わかりやすい解説

冀東防共自治政府
きとうぼうきょうじちせいふ

日本の関東軍が中国の河北省 (冀) 東部につくった傀儡 (かいらい) 政権。 1935年 11月 25日冀東防共自治委員会が成立し,12月 25日冀東防共自治政府と改称。管轄地域は塘沽 (タンクー) 停戦協定による非戦区 18県を含む 22県で,人口は約 600万,首都は通州,政務長官は殷汝耕で,五色旗を掲げた。日本品の密輸入を公認し,36年輸入港4ヵ所を指定し低関税を実施した (冀東貿易) 。このような日本の露骨な収奪に対して抗日機運はますます高まり,日中戦争開始直後,通州保安隊による日本人虐殺事件が発生。通州事件後,首都は府山に移ったが,38年2月1日北京の中華民国臨時政府に合流して解消した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「冀東防共自治政府」の解説

冀東防共自治政府
きとうぼうきょうじちせいふ

1935年河北省に設置された日本の傀儡 (かいらい) 政権。首都通州
1935年国民政府が幣制改革を断行すると,日本はこれに対抗して殷汝耕 (いんじよこう) を主席とする冀東防共自治委員会を樹立,その後自治政府と改称した。1936年以降冀東政府は密輸入を事実上公認し,アヘンや麻薬を含む大量の密輸入が横行した。これによって打撃をうけた中国商人らは抗日運動を激化させた。しかしその後冀東貿易はふるわなくなり,通州事件の結果殷は失脚,1938年には北京の臨時政府に合流した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「冀東防共自治政府」の解説

冀東防共自治政府
きとうぼうきょうじちせいふ

中国河北省通州に成立した日本の傀儡(かいらい)政権。塘沽(タンクー)協定以後,華北分離工作を推進していた関東軍は,1935年(昭和10)11月奉天特務機関長土肥原賢二少将の主導で,非武装地帯に非戦区督察専員殷汝耕(いんじょこう)を政務長官に擁立し,冀東防共自治委員会を設置した。当初,冀察政務委員会との連合案もあったが,12月25日,冀東防共自治政府として独立政権の形をとった。38年2月中華民国臨時政府に合流。

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世界大百科事典(旧版)内の冀東防共自治政府の言及

【華北工作】より

…11月には親日派の汪兆銘外交部長が狙撃されて下野し,その直後に国民政府はイギリス人財政家リース・ロスF.W.Leith‐Rossの援助で幣制改革を成功させ,中国の経済的統一を促進した。日本軍は華北の軍閥をとりこもうとしたが成功せず,悪評高い殷汝耕を主席に11月に非武装地帯を中心に冀東防共自治委員会(12月,冀東防共自治政府と改称)を作らせた。国民政府は殷を国賊として逮捕令を出したが,日本との衝突をさけるため12月に河北・察哈爾両省と北平(北京),天津両市を管轄する冀察政務委員会を作り,第29軍長の宋哲元を委員長とした。…

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