内山愚童(読み)うちやまぐどう

改訂新版 世界大百科事典 「内山愚童」の意味・わかりやすい解説

内山愚童 (うちやまぐどう)
生没年:1874-1911(明治7-44)

明治期の曹洞宗禅僧で無政府主義者。幼名慶吉。新潟県小千谷生れ。1897年神奈川県愛甲郡宝増寺で得度し,天室愚童と改名。1904年箱根大平台林泉寺住職となるが,そのころから社会主義を学び,堺利彦幸徳秋水,石川三四郎らと交際する中で無政府主義者となる。林泉寺で秘密出版を行い,村の青年を教育した。09年出版法,爆発物取締罰則違反で入獄,翌年大逆事件連座し,11年に処刑された。
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朝日日本歴史人物事典 「内山愚童」の解説

内山愚童

没年:明治44.1.24(1911)
生年:明治7.5.17(1874)
明治期の仏教家,社会思想家。新潟県小千谷町(小千谷市)に菓子木型製作職人直吉とカズの長男として生まれた。幼名は慶吉。明治30(1897)年神奈川県宝増寺で得度,愚童と改名。曹洞宗第12中学に学んだのち,37年箱根大平台の林泉寺の住職となった。愚童が社会主義者であることを表明したのは,週刊『平民新聞』(1904年1月17日号)で,仏教の平等主義と社会主義が一致するとの考えに基づいている。41年の赤旗事件契機に『入獄紀念・無政府共産』などの天皇制否定の小冊子を秘密出版した。43年大逆事件に連座,大阪や神戸での,皇太子暗殺により天皇も驚いて死ぬだろうなどの放言が大逆罪に問われ,処刑された。<参考文献>柏木隆法『大逆事件と内山愚童』,森長英三郎『内山愚童』

(山泉進)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内山愚童」の意味・わかりやすい解説

内山愚童
うちやまぐどう
(1874―1911)

曹洞宗の箱根林泉寺(りんせんじ)の僧侶。社会主義者として大逆事件に連座し、死刑判決を受け処刑された。新潟県北魚沼郡小千谷(おぢや)町(現、小千谷市小千谷)の菓子木型製作職人の長男。1904年(明治37)林泉寺の住職となり、社会主義者と交わるようになる。仏教の平等主義が社会主義思想と一致しているとの考えに基づく。赤旗事件(1908年)後は、『入獄紀念無政府共産』などを秘密出版、皇太子暗殺の放言により大逆事件に連座。1993年(平成5)曹洞宗が名誉回復を行う。2005年林泉寺に顕彰碑が建立された。

[山泉 進]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内山愚童」の解説

内山愚童 うちやま-ぐどう

1874-1911 明治時代の僧。
明治7年5月17日生まれ。24歳のとき出家。明治37年箱根の曹洞宗(そうとうしゅう)林泉寺の住職になる。その前後から社会主義を研究,幸徳秋水らとまじわる。41年「無政府共産」などを秘密出版して逮捕され,43年大逆事件に連座し44年1月24日死刑。38歳。平成5年4月曹洞宗内擯斥(ひんせき)処分がとかれ,名誉を回復した。新潟県出身。俗名は慶吉。号は天室。

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世界大百科事典(旧版)内の内山愚童の言及

【大逆事件】より

…また別に幸徳,管野は,宮下,新村忠雄,古河力作が09年2月以来爆弾を試作し,大逆の計画をもっているのを知り,〈爆裂弾を以て大逆罪を犯し革命の端を発せん〉ことを協議した。さらに内山愚童は09年1月に幸徳,管野を訪ね〈皇太子殿下を指斥し,弑逆を行ふべき旨〉と〈爆裂弾あれば身命を抛て革命運動に従事すべき意思〉を告げ,準備をすすめた。この三つの謀議をまとめて,ひとつの大逆事件が形成されたとしたのである。…

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