内山愚童(読み)ウチヤマ グドウ

20世紀日本人名事典 「内山愚童」の解説

内山 愚童
ウチヤマ グドウ

明治期の僧侶,社会主義林泉寺(曹洞宗)住職



生年
明治7年5月17日(1874年)

没年
明治44(1911)年1月24日

出生地
新潟県北魚沼郡小千谷町(現・小千谷市)

別名
幼名=慶吉

学歴〔年〕
小千谷高等小学校卒,曹洞宗第12中学校本科修了

経歴
明治23年仏門に入り、30年得度し、37年箱根大平台林泉寺の住職となる。その頃から社会主義に関心を抱き、幸徳秋水らと交際する。以後「無政府共産」「無政府主義道徳否認論」などのパンフレットを秘かに発行し、禁錮2年に処せられる。又、坑夫の置いていったダイナマイト所持で懲役10年に処せられる。43年発生の大逆事件では服役中に起訴され、44年刑死した。服役中に曹洞宗の審尋院の処分により僧籍をはく奪されたが、平成5年83年ぶりに処分が取り消され、名誉回復した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「内山愚童」の意味・わかりやすい解説

内山愚童 (うちやまぐどう)
生没年:1874-1911(明治7-44)

明治期の曹洞宗禅僧で無政府主義者。幼名慶吉。新潟県小千谷生れ。1897年神奈川県愛甲郡宝増寺で得度し,天室愚童と改名。1904年箱根大平台林泉寺住職となるが,そのころから社会主義を学び,堺利彦,幸徳秋水,石川三四郎らと交際する中で無政府主義者となる。林泉寺で秘密出版を行い,村の青年を教育した。09年出版法,爆発物取締罰則違反で入獄,翌年大逆事件に連座し,11年に処刑された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「内山愚童」の解説

内山愚童

没年:明治44.1.24(1911)
生年:明治7.5.17(1874)
明治期の仏教家,社会思想家。新潟県小千谷町(小千谷市)に菓子木型製作職人直吉とカズの長男として生まれた。幼名は慶吉。明治30(1897)年神奈川県宝増寺で得度,愚童と改名。曹洞宗第12中学に学んだのち,37年箱根大平台の林泉寺の住職となった。愚童が社会主義者であることを表明したのは,週刊『平民新聞』(1904年1月17日号)で,仏教の平等主義と社会主義が一致するとの考えに基づいている。41年の赤旗事件を契機に『入獄紀念・無政府共産』などの天皇制否定の小冊子を秘密出版した。43年大逆事件に連座,大阪や神戸での,皇太子暗殺により天皇も驚いて死ぬだろうなどの放言が大逆罪に問われ,処刑された。<参考文献>柏木隆法『大逆事件と内山愚童』,森長英三郎『内山愚童』

(山泉進)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内山愚童」の意味・わかりやすい解説

内山愚童
うちやまぐどう
(1874―1911)

曹洞宗の箱根林泉寺(りんせんじ)の僧侶。社会主義者として大逆事件に連座し、死刑判決を受け処刑された。新潟県北魚沼郡小千谷(おぢや)町(現、小千谷市小千谷)の菓子木型製作職人の長男。1904年(明治37)林泉寺の住職となり、社会主義者と交わるようになる。仏教の平等主義が社会主義思想と一致しているとの考えに基づく。赤旗事件(1908年)後は、『入獄紀念無政府共産』などを秘密出版、皇太子暗殺の放言により大逆事件に連座。1993年(平成5)曹洞宗が名誉回復を行う。2005年林泉寺に顕彰碑が建立された。

[山泉 進]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内山愚童」の解説

内山愚童 うちやま-ぐどう

1874-1911 明治時代の僧。
明治7年5月17日生まれ。24歳のとき出家。明治37年箱根の曹洞宗(そうとうしゅう)林泉寺の住職になる。その前後から社会主義を研究,幸徳秋水らとまじわる。41年「無政府共産」などを秘密出版して逮捕され,43年大逆事件に連座し44年1月24日死刑。38歳。平成5年4月曹洞宗内擯斥(ひんせき)処分がとかれ,名誉を回復した。新潟県出身。俗名は慶吉。号は天室。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「内山愚童」の解説

内山 愚童 (うちやま ぐどう)

生年月日:1874年5月17日
明治時代の曹洞宗僧侶;無政府主義者。箱根林泉寺住職
1911年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の内山愚童の言及

【大逆事件】より

…また別に幸徳,管野は,宮下,新村忠雄,古河力作が09年2月以来爆弾を試作し,大逆の計画をもっているのを知り,〈爆裂弾を以て大逆罪を犯し革命の端を発せん〉ことを協議した。さらに内山愚童は09年1月に幸徳,管野を訪ね〈皇太子殿下を指斥し,弑逆を行ふべき旨〉と〈爆裂弾あれば身命を抛て革命運動に従事すべき意思〉を告げ,準備をすすめた。この三つの謀議をまとめて,ひとつの大逆事件が形成されたとしたのである。…

※「内山愚童」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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