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内田銀蔵 うちだぎんぞう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

内田銀蔵
うちだぎんぞう

[生]明治5(1872).1. 東京
[没]1919.7.22. 京都
明治,大正の日本経済史学の創始者。 1896年,東京大学文科大学国史科を卒業。大学院で国史を専攻,1902年,文学博士を受け,ヨーロッパ留学後,京都大学文科大学教授となる。著書に『日本経済史の研究』や『日本近世史』 (1903) などがあり,その論著は『内田銀蔵遺稿全集』 (5巻,21~22) としてまとめられている。

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デジタル大辞泉の解説

うちだ‐ぎんぞう〔‐ギンザウ〕【内田銀蔵】

[1872~1919]経済史学者。東京の生まれ。京大教授。日本経済史研究の開拓者。日本史研究の近代的学風を確立。著「日本近世史」「経済史」など。

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百科事典マイペディアの解説

内田銀蔵【うちだぎんぞう】

歴史学者。東京出身。東大国史科卒。京大教授。国史学の伝統に西洋史学の方法を取り入れ,日本経済史研究の開拓者となった。主著《日本近世史》《経済史総論》。
→関連項目三浦周行

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

内田銀蔵 うちだ-ぎんぞう

1872-1919 明治-大正時代の日本史学者。
明治5年1月25日生まれ。32年東京帝大講師となり,日本経済史をおしえる。39年京都帝大教授となり,史学科の創設にかかわる。近世史の研究に力をそそぐほか,わが国の経済史研究の基礎をきずいた。大正8年7月20日死去。48歳。東京出身。帝国大学卒。著作に「日本近世史」「日本経済史の研究」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

内田銀蔵

没年:大正8.7.20(1919)
生年:明治5.1.25(1872.3.4)
明治大正期の歴史家。文学博士。東京府南足立郡千住町字中組の川魚問屋に生まれた。明治29(1896)年,帝国大学卒業。32年,帝大文科大学講師になり,欧州に留学。39年,京都帝国大学教授となり,史学科の創設に参画して,国史学講座と研究室の整備に尽力し,次いで史学研究会図書館の経営に参加した。東京帝大の考証史学からの脱皮を志向し,史学理論,歴史哲学に新境地をひらいて,日本近世史学をひとつの分野として確立した。学風は骨太で,特に日本経済史を得意とし,土地制度経済発展の推移を世界史的視野で概観するもので,文化史学へ発展する可能性を持っていた。大正7(1918)年米欧に出張し,帰国してまもなく没した。人となりは,謹厳,篤実,慎重,端正,修養に努め,高潔であった。墓所は,東京都足立区綾瀬の清亮寺。<著作>『内田銀蔵遺稿全集』,宮崎道生校注・解説『近世の日本・日本近世史』<参考文献>『京都大学文学部50年史』

(秋元信英)

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世界大百科事典 第2版の解説

うちだぎんぞう【内田銀蔵】

1872‐1919(明治5‐大正8)
明治・大正期の史学者。東京千住に生まれる。1889年東京専門学校(現,早大)卒業,96年東京帝大文科国史学科卒業,大学院に入り,98年《史学雑誌》に〈経済史の性質及範囲について〉を寄せる。最も早く〈経済史〉という言葉を使った学者である。東京帝大文科講師として日本経済史の講義を担当,ついで広島高師教授を経て,1907年京都帝大教授となり,同大国史科創設に努力した。この間,1903年イギリスフランス,ドイツ等に留学。

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大辞林 第三版の解説

うちだぎんぞう【内田銀蔵】

1872~1919) 経済史学者。東京生まれ。京大教授。経済学とヨーロッパにおける経済史の研究方法をとり入れて、日本経済史を初めて体系化。主著「日本経済史の研究」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

内田銀蔵
うちだぎんぞう
(1872―1919)

歴史学者、京都帝国大学教授。明治5年1月25日、東京・千住(せんじゅ)に生まれる。東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)に学んだのち帝国大学文科大学国史学科に進み、1896年(明治29)卒業。さらに大学院で「日本経済史及び史学と経済学との教育的価値」を研究。1902~06年(明治35~39)ヨーロッパに留学。この間、「我国中古の班田収授法及近時まで本邦所々に存在せし田地定期割替に就きて」で文学博士の学位を得、03年には主著『日本近世史』を公刊。留学中の05年、海外在住のまま広島高等師範学校教授に任命されたが、帰国とほとんど同時に新設されることとなった京都帝国大学史学科の創設に参画、07年同大学教授となる。「日本経済史」「比較経済史の諸問題」などのテーマで講じ、当時主流の考証史学とは異なる闊達(かったつ)な学風を示した。大正8年7月20日没。[永原慶二]
『永原慶二・鹿野政直編著『日本の歴史家』(1976・日本評論社)』

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