円通寺跡(読み)えんつうじあと

日本歴史地名大系 「円通寺跡」の解説

円通寺跡
えんつうじあと

[現在地名]大月市賑岡町岩殿

岩殿いわとの山南東麓に伽藍を構えていた天台系寺院で、岩殿山と号し、本尊は十一面観音であった(甲斐国志)近世には甲州三十三観音霊場の第三〇番札所であった。「甲斐国志」に引く永正一七年(一五二〇)の棟札によると大同元年(八〇六)行基が建立したとされるが、同書は行基の没年(天平二一年)をあげ、この開創伝説には否定的である。ただし三重塔の枡形には承平三年(九三三)年紀と大旦那孝阿禅尼との銘があったとされ、事実とすれば旧刹であったことに相違はない。中世には京都聖護しようご院を本山とする本山派修験寺院で、文明一九年(一四八七)には同院門跡道興准后が「岩殿の明神と申て霊社」(当寺七社権現)を参詣し、「あひかたき此岩とのゝ神やしる世々に朽せぬ契ありとは」と詠じている(廻国雑記)


円通寺跡
えんつうじあと

[現在地名]加津佐町水下津名

天辺てつぺんにあった曹洞宗寺院の跡。正平一三年(一三五八)有馬直澄が肥後の大智祖継を開山として創立した。同年六月二三日の有馬直澄寄進状案(広福寺文書)によれば、直澄は水月すいげつ名のはち久保くぼ・八ノ久保平などに比定される鉢窪名(ただし田地を除く)を含む重代相伝の私領である高来たかく賀津佐かづさ村内の伽藍敷地や山野を大智に寄進している。


円通寺跡
えんつうじあと

[現在地名]豊科町大字高家 真々部

真々部氏館跡の西北方、下町にある。松本城下の真宗正行しようぎよう寺末。本尊阿弥陀如来(正敬寺蔵)。亀井家の伝承によれば、明応年間(一四九二―一五〇一)尾張国清洲の円通寺の住僧亀井氏が諸国を歩いて当地に居住するようになったといわれ、その後、釈教伝可泉(元和七年一〇月一二日没)が文禄元年(一五九二)に中興している。


円通寺跡
えんつうじあと

[現在地名]多気町津留

津留つる東南平地にある約一〇アール余の寺院跡。「五鈴遺響」に「円通寺廃址津留山中円通寺山、往々仏器等堀出ス、人家遠ク盗賊ニ患イ寺ヲ引キ今ノ丹生下村庵ノ北円通寺垣内ニアリシガ、寺ハコワレ田畑トナル、其処ニ永禄七年ニ僧賢照住ス」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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