出流原遺跡(読み)いずるはらいせき

日本歴史地名大系 「出流原遺跡」の解説

出流原遺跡
いずるはらいせき

[現在地名]佐野市出流原町 荒神前

弁天べんてん池の南方約五〇〇メートル、南流する出流川東岸の洪積台地南西端に位置する弥生中期頃の再葬墓群。遺跡付近の標高は約六〇メートル、沖積低地からは比高約二・五メートル。昭和三九年(一九六四)・同四〇年の発掘調査の結果、弥生時代のものとみられる墓跡が確認された。直径〇・五―二メートル大の小竪穴(最深約〇・五メートル)三七に総じて各々数個の壺形土器が埋納され、碧玉製管玉を伴出するものが多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「出流原遺跡」の意味・わかりやすい解説

出流原遺跡 (いずるはらいせき)

栃木県佐野市出流原にある弥生時代中期の共同墓地足尾山地の最南端に位置した標高195m,比高60mの低台地上にある。縄文土器の包含地として知られたが,1964,65年の3回の発掘調査の結果,34m四方の範囲に径1m前後の土壙が計37個発見され,未発掘地の分まで加えると40個を超えると推定される。土壙には土器が1~11個埋置されたものがあり,11個の土器を入れた11号土壙では,小型の人面付壺が含まれていた。土壙中や土器内に大型の碧玉製管玉を副葬品として持つもののほか,まれに石鏃を有するものもある。遺骨残存も認められ,うち1例は年齢30歳前後と推定されている。茨城県女方(おざかた)遺跡同様に,小範囲に土壙が重複することなく密集することから,当時は地表になんらかの標示があったと思われる。出土土器は,従来南関東を中心に分布すると考えられていた須和田式土器が大多数で,その分布観に修正が必要となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「出流原遺跡」の意味・わかりやすい解説

出流原遺跡
いずるはらいせき

栃木県佐野市出流原町にある弥生(やよい)時代中期の再葬墓群遺跡。明治大学と佐野市教育委員会との共催で、1964年(昭和39)から発掘調査が行われ、南関東地方の弥生時代中期前半に編年される須和田(すわだ)式土器を主体とする弥生土器を埋納した大小37個の土壙(どこう)が検出された。このうち、土器に人骨を納めたものが4例、碧玉(へきぎょく)製管玉(くだたま)を副葬したもの14例、石鏃(せきぞく)を副葬したもの3例があり、特異な遺物である顔面付土器もみられた。これらのことから本遺跡は茨城県女方(おざかた)遺跡や千葉県天神前遺跡と同様に、遺骸(いがい)を洗骨した後に土器に入れてふたたび埋葬し直す再葬墓の共同墓地であることが確認された。しかし、他の遺跡と同様に墓地を造営した人々の集落跡は発見されていない。

[竹沢 謙]

『杉原荘介著『栃木県出流原における弥生時代の再葬墓群』(1981・明治大学)』

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