函谷関(読み)カンコクカン(英語表記)Hán gǔ guān

デジタル大辞泉 「函谷関」の意味・読み・例文・類語

かんこく‐かん〔‐クワン〕【函谷関】

中国河南省北西部、黄河南岸の山中にある交通の要地。関所が設けられ、秦代には霊宝付近にあったものが、漢代に移された。長安洛陽とを結ぶ道に位置し、多くの攻防戦の舞台となった。ハンクーコワン

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精選版 日本国語大辞典 「函谷関」の意味・読み・例文・類語

かんこく‐かん‥クヮン【函谷関】

  1. 中国の華北平原から渭水盆地に入る要衝にある関。黄土層の絶壁に囲まれた谷に築かれ、昼なお暗く函(はこ)の中を進むようであったことから名づけられた。秦が東方の守りとして河南省北西部、現在の霊宝県の地に築いた古関と、前漢が河南省新安県の地に築いた新関(現在の函谷関)とがある。函谷。函関。

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改訂新版 世界大百科事典 「函谷関」の意味・わかりやすい解説

函谷関 (かんこくかん)
Hán gǔ guān

中国,河南省の北西部にある交通の要地。古関と新関の二つの関所がおかれた。古関は霊宝県の南西2kmのところに位置する。東西およそ8kmにわたって黄土層の深い谷がつづき,両岸は切り立ち,樹木は陽光をさえぎって昼なお暗く,ちょうど函(はこ)の中を進むのに似ているところから,この名がつけられた。長安(現,西安市)を中心とする関中と,洛陽を中心とする中原を結ぶ交通の要地に当たっており,秦の国では古くからここに関所をもうけて東方の守りとしていた。関門は日没に閉じて日の出とともに開くことになっており,斉の孟嘗君(もうしようくん)が秦から逃げ出すとき,従者が鶏の鳴声をまねて夜の明けないうちに関門を開かせたという話は,ここが舞台である。また劉邦が秦を攻めて先に関中を占領し,項羽の関中進入を防ごうとしたのもこの場所であった。古来この地でくりひろげられた東西の攻防戦は,数えきれないほどである。漢代に入り,武帝の元鼎3年(前114)に関所をおよそ150km東の現在の新安県北東の地に移した。これは当時,楼船将軍として功績のあった楊僕が,郷里が宜陽で都の長安からは関外の地となり,関外の民と呼ばれるのを恥として関所の移転を武帝に願い出た結果と伝えられる。こうしてできたのが新関で,古関には弘農県がおかれ,ついで弘農郡の郡治となった。新関は三国の魏のときにいったん廃止されたが,北周時代には通洛防と呼ばれて北斉に対する防衛地点となった。しかし地形要害堅固さにおいては新関は古関に及ばず,古関も新関とともにながく活用された。今日ではこの要害の地も切り開かれて隴海(ろうかい)鉄道(蘭州~連雲港)が通じている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「函谷関」の意味・わかりやすい解説

函谷関
かんこくかん

中国、河南(かなん/ホーナン)省西部、黄河(こうが/ホワンホー)の南岸に位置する交通、軍事上の要地。初め戦国時代に秦(しん)が霊宝(れいほう)県の南方に函谷関を設けたが、前漢の武帝により、東に150キロメートルほど離れた新安県の東方に移された(前114)。秦王政(始皇帝)が、楚(そ)、趙(ちょう)、魏(ぎ)、韓(かん)、衛の5か国の兵士からなる大軍を退けたのは、霊宝県の古関であり、6世紀、長安に都した北周が、東方の鄴(ぎょう)に都した北斉(ほくせい)に対峙(たいじ)するために前線基地を設けたのは、新安県の新関である。なお古来中国では、華北を関東と関西(関中)という二つの地域に区分することがあるが、その際の関とは、この函谷関のことであり、また名称は、山間の谷沿いに陽光がほとんど差し込まない狭い道が続いていて、まるで函(はこ)の中を行くようだったことに由来するという。

[關尾史郎]

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百科事典マイペディア 「函谷関」の意味・わかりやすい解説

函谷関【かんこくかん】

中国,河南省北西部の交通要地。今は隴海(ろうかい)鉄路(蘭州〜連雲港)と幹線道路に沿うが,昔はけわしい黄土層中の道が,あたかも函中を行くに似るためこの名を生じた。中原関中との関門をなすため,秦が東方の守としておいたもので,のち漢は,前114年関を東方150kmに移した。南北朝ごろまではここを境に華北を関東と関西に分ける習慣が行われ,また山東・山西という場合にもここを境とすることがあった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「函谷関」の意味・わかりやすい解説

函谷関
かんこくかん
Han-gu-guan; Han-ku-kuan

中国,河南省北西部にある関門。戦国時代に秦が東方の防衛のため設けたもので,この地は要害堅固として名高い。前漢の武帝のとき,東方約 150kmのところに新関を造ったので前者を故関という。鶏鳴とともに開門し,日没に閉門する規則であったという。この関を境に華北は関東と関西に分けられた。斉の孟嘗君 (もうしょうくん) が秦から脱出したときの鶏鳴狗盗 (けいめいくとう) の故事で有名。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「函谷関」の解説

函谷関(かんこくかん)
Hanguguan

中国河南省北西部にあり,東の中原と西の関中とを結ぶ交通の要衝。秦が設けた関と,漢のとき150km東方に移した新関と二つあるが,史話のうえでも要害の点でも前者が勝る。南北朝時代までこの付近を境にして華北を関東,関西に分ける習慣があった。

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世界の観光地名がわかる事典 「函谷関」の解説

かんこくかん【函谷関】

中国の山西省と河南省の境界にある、三門峡(サンメンシア)の北15kmの峡谷。「天下第一関」や「秦函谷関」とも呼ばれ、春秋戦国時代に創建された中国で最も古い関所で、望気台や太初台、鶏鳴台などが残されている。◇『史記』中の故事にある「鶏鳴狗盗」(士人らしからぬ、いやしい才能のあるもの)では、函谷関での孟嘗君の活躍が記されている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「函谷関」の解説

函谷関
かんこくかん

中国河南省西部,長安を中心とする関中と洛陽を中心とする中原 (ちゆうげん) とを結ぶ,黄河沿岸の交通の要衝
関は秦代に初めて置かれ,孟嘗君 (もうしようくん) の故事で名高い。古代中国ではこの関を境に,中国北部を関東と関西に分けた。

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