前原誠司(読み)まえはらせいじ

百科事典マイペディア 「前原誠司」の意味・わかりやすい解説

前原誠司【まえはらせいじ】

民主党政治家衆議院議員。京都市に生まれる。京都大学法学部卒業。京大では国際政治学者高坂正堯に学ぶ。松下政経塾出身。1991年,京都府議会選挙で最年少で当選。1993年衆議院議員総選挙で,京都一区から日本新党公認で初当選し,以後連続当選を重ねる。1998年民主党結成に参加,2005年の衆議院総選挙で民主党は大敗し,岡田克也代表の辞任にともなう後継代表選挙で菅直人僅差で破り,代表に就任したが,2006年3月,いわゆる永田メール問題で責任を取って辞任した。2009年9月に発足した,鳩山由紀夫内閣で国土交通大臣と内閣府特命(沖縄・北方対策担当)大臣に兼務で就任した。2010年6月,鳩山由紀夫内閣に替わった菅直人内閣で国土交通大臣,沖縄・北方対策担当大臣に留任,9月の内閣改造では,外務大臣に就任した。戦後最年少の外相である。就任直後に,尖閣諸島の日本領海内で海上保安庁巡視船に中国漁船が体当たりして船長を逮捕した事件や,メドベージェフ・ロシア大統領の北方領土訪問などが起こり,対中,対ロ外交が注目された。しかし2011年3月,韓国籍の在日韓国人後援者からの献金が在日外国人からの政治献金を禁止した政治資金規正法に触れると,自民党によって追求され辞任した。2011年8月,菅直人首相の後継をめぐって争われた代表選に出馬したが,野田佳彦に敗れ,野田代表のもとで,民主党政調会長に就任。野田政権は,8月消費税増税法案を参議院で民主党・国民新党・自民党・公明党の賛成多数で成立させたものの,党勢を失ったまま,2012年12月に衆議院を解散,同月の総選挙で大敗を喫し,政権を自民・公明連立による第二次安倍晋三内閣に明け渡すこととなった。野党再編による政権奪還をめざしている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前原誠司」の解説

前原誠司 まえはら-せいじ

1962- 平成時代の政治家。
昭和37年4月30日生まれ。昭和62年松下政経塾にはいる。平成3年京都府議会議員。5年衆議院議員に初当選(当選8回)。日本新党,新党さきがけをへて,8年民主党(旧)に入党。党の「次の内閣」安全保障大臣,外務大臣,防衛庁長官などをつとめる。17年菅直人を2票差で破り,党代表に選ばれる。翌年「偽メール」問題で代表を辞任。19年党副代表。21年鳩山連立内閣の国土交通相,沖縄及び北方対策,防災担当相。22年菅連立内閣で国土交通相,沖縄及び北方対策担当相に再任。同年菅改造内閣で外相,23年菅第2次改造内閣で外相に留任。同じく23年民主党野田佳彦新代表のもとで政策調査会長につく。24年第3次野田改造内閣の国家戦略担当,海洋政策担当,内閣府特命担当相(経済財政政策・科学技術政策・原子力行政・宇宙政策)。京都府出身。京大卒。

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367日誕生日大事典 「前原誠司」の解説

前原 誠司 (まえはら せいじ)

生年月日:1962年4月30日
昭和時代;平成時代の政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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