共同通信ニュース用語解説 「菅直人内閣」の解説
菅直人内閣
2009年8月の衆院選で政権交代を実現しながら、10年6月に退陣した鳩山内閣の後継として発足。後に立憲民主党代表となる
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(2010.6.8~2011.9.2 平成22~23)
2010年(平成22)6月に成立した民主党と国民新党による連立内閣。鳩山由紀夫(はとやまゆきお)首相の退陣表明を受け、6月4日の民主党代表選挙で菅直人が民主党代表に就任、同日の衆参両院での首班指名選挙で、菅が第94代内閣総理大臣に指名され、6月8日に正式に発足した。菅首相は自由民主党在籍経験がなく、また親が政治家であるいわゆる「二世議員」でもなく、こうした内閣は1994年の村山富市内閣(むらやまとみいちないかく)以来16年ぶりであった。
前内閣から11名が留任し、新任は仙谷由人(せんごくよしと)(1946―2018)官房長官、野田佳彦(のだよしひこ)財務大臣、蓮舫(れんほう)(1967― )行政刷新担当大臣など6名。その後郵政民営化見直し法案が審議未了廃案となり、国民新党の亀井静香(かめいしずか)(1936― )金融・郵政改革担当大臣が辞任し、自見庄三郎(じみしょうざぶろう)(1945― 、国民新党)が後任となった。民主党内の非小沢一郎グループを主要ポストに起用して「脱小沢」色をアピールした。また内閣の目標としては「最小不幸社会」の実現を掲げ、「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を目ざした。
内閣発足当時、内閣支持率は60%を超えたが、首相の「消費税発言」が「増税方針」と受け取られると一転して支持率が低下し、7月の参議院議員選挙では改選議席を下回る44議席の獲得にとどまり、連立与党は参議院での過半数を失いいわゆる「ねじれ国会」の状態となった。選挙後菅首相は続投を表明し、9月の民主党代表選で小沢一郎を退けて再選された。内閣改造を行い、前原誠司(まえはらせいじ)(1962― )前国交相を外相に任命、野田財務相、北沢俊美(きたざわとしみ)(1938― )防衛相、仙谷官房長官、自見金融・郵政改革担当相、玄葉光一郎(げんばこういちろう)(1964― )公務員制度改革担当相、蓮舫行政刷新担当相を留任させそれ以外は前任者と交代させた。
景気対策のための補正予算の成立を当面の課題としたが、「ねじれ国会」状態による政権運営の困難さに加え、9月に起こった尖閣諸島(せんかくしょとう)での海上保安庁艦艇と中国漁船の衝突事件に端を発した日中関係の冷却化、北方領土へのロシア大統領の訪問、TPP(環太平洋経済提携協定)への参加問題など外交面でのもたつきが目だち、内閣支持率は低迷した。2011年3月に東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故が発生、災害対策が最重要課題となった。そのなかで自由民主党との大連立を目ざすが不調に終わり、これ以降民主党内で内閣への不満が増大。6月、野党から提出された内閣不信任決議案に民主党内から同調する動きが出て、不信任決議の可決や民主党分裂の可能性が高まった。このため菅首相は震災対応のめどがつきしだい退陣することを表明し、不信任決議案は否決された。辞任の条件としていた2011年度第2次補正予算案、再生可能エネルギー特別措置法案、特例公債法案が成立したことを受け、菅首相は辞任、内閣総辞職した。
[伊藤 悟]
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