岡田克也(読み)おかだかつや

百科事典マイペディア 「岡田克也」の意味・わかりやすい解説

岡田克也【おかだかつや】

政治家。三重県出身。父はイオングループ名誉会長の岡田卓也。東京大学法学部卒業後,通商産業省に入省。大臣官房企画官を最後に退省し,1990年衆議院議員選挙に自由民主党から出馬して初当選。1993年同党を離党し新生党に参加,その後新進党に加わった。1997年の新進党解党後に〈国民の声〉,〈民政党〉を経て1998年に新〈民主党〉の結党に参加した。2002年民主党代表選で菅直人に敗れ,菅執行部の民主党幹事長に就任。2004年5月,年金問題で菅代表が辞任小沢一郎が代表に内定したが,同じく年金問題で辞退し,岡田が代表に就任した。2004年7月,岡田率いる民主党は参議院選挙で自由民主党の49議席を上回る50議席を獲得,同年9月の代表選挙で無投票再選をはたした。2005年衆議院選挙(郵政選挙)で小泉自民党に大敗を喫し代表を辞任した。2009年5月小沢一郎代表の辞任を受けて代表選に出馬したが,鳩山由紀夫に破れた。鳩山代表のもとで幹事長に就任した。2009年9月,鳩山由紀夫内閣外務大臣。東アジア外交の重視,日米密約の調査,普天間基地問題などの重要課題に取り組む。2010年6月,鳩山由紀夫内閣に替わった菅直人内閣で外務大臣留任。9月,民主党代表に再任された菅直人のもとで民主党幹事長に就任した。2011年8月菅直人内閣の総辞職を受けて,後継代表に選ばれた野田佳彦のもとで幹事長就任を要請されたが固辞,2012年1月野田佳彦内閣の改造にともない,四つの内閣府特命担当大臣(〈新しい公共〉,〈少子化対策〉,〈男女共同参画〉,〈行政刷新〉)に就任し,副総理となるが,2月の改造人事で,特命担当大臣としては行政刷新担当を残して三ポストは退任した。2012年12月,野田政権は党勢を失ったまま衆議院を解散,同月の総選挙で大敗を喫し,政権を自民・公明連立による第二次安倍晋三内閣に明け渡すこととなった。2014年12月の衆院選では党勢をやや持ち直したが党代表の海江田万里落選。岡田克也が代表に就任した。
→関連項目沖縄返還密約日米密約前原誠司

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田克也」の解説

岡田克也 おかだ-かつや

1953- 平成時代の政治家。
昭和28年7月14日生まれ。イオングループ創業者・岡田卓也次男。イオン社長・岡田元也の弟。通産省(現・経済産業省)にはいり,大臣官房総務課企画調査官などをつとめる。平成2年衆議院議員に初当選(当選9回)。5年自民党を離党して新生党結成に,6年新進党結成にくわわる。10年には民主党結成にくわわり党政策調査会長代理に就任。衆議院安全保障委員長,党政策調査会長などをへて,14年党幹事長。16年党代表に就任。17年郵政解散後の総選挙で敗北した責任を取り,党代表を辞任。21年党幹事長。同年の鳩山連立内閣,22年菅連立内閣で外相。22年幹事長に就任。24年野田改造内閣の副総理兼行政改革担当,社会保障・税一体改革担当,公務員制度改革担当および内閣府特命担当相(行政刷新,「新しい公共」,少子化対策,男女共同参画)として入閣。同年第2次野田改造内閣,第3次野田改造内閣で副総理兼行政改革担当,社会保障・税一体改革担当および内閣府特命担当相(行政刷新)。24年12月の総選挙で民主党は大敗して野党転落。27年海江田万里のあと,民主党代表となる。三重県出身。東大卒。

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367日誕生日大事典 「岡田克也」の解説

岡田 克也 (おかだ かつや)

生年月日:1953年7月14日
昭和時代;平成時代の衆院議員。元・民主党代表

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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