野田佳彦(読み)ノダヨシヒコ

デジタル大辞泉 「野田佳彦」の意味・読み・例文・類語

のだ‐よしひこ【野田佳彦】

[1957~ ]政治家。千葉の生まれ。早稲田大学卒業後、松下政経塾に入塾。昭和62年(1987)千葉県議となる。平成4年(1992)日本新党結党に参加し衆院選に当選。その後、民主党に加わり平成22年(2010)財務大臣に、平成23年(2011)9月首相に就任した。翌年、消費税増税法案を成立させたが、衆院選に大敗し辞任した。→安倍晋三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野田佳彦」の意味・わかりやすい解説

野田佳彦
のだよしひこ
(1957― )

政治家。千葉県生まれ。早稲田大学卒業。1980年(昭和55)、松下政経塾に第1期生として入塾した。1992年(平成4)の日本新党結成に参加し、翌1993年の総選挙で旧千葉1区から日本新党公認で初当選。1996年の総選挙では落選したが、次の2000年(平成12)総選挙で返り咲き、以来千葉4区から連続4回当選。日本新党から新進党を経て1996年から民主党所属、衆議院議員。2002年の民主党代表選に中堅・若手の支持で出馬したが落選。同年12月から民主党国会対策委員長、2004年には民主党の政策決定機関「次の内閣」の財務大臣に就任した。2005年に前原誠司(まえはらせいじ)(1962― )代表のもとで再度国会対策委員長となったが、翌2006年2月の「偽メール問題」で3月に辞任した。2009年5月に鳩山由紀夫(はとやまゆきお)代表のもとで幹事長代理、同年9月には鳩山内閣の財務副大臣に就任した。2010年6月に菅直人(かんなおと)内閣が成立すると副大臣から昇格する形で財務大臣に就任したが、初入閣で財務大臣というのは初めての例であった。2011年8月の民主党代表選に出馬し、第1回投票では小沢一郎を中心とする小沢グループの支持を受けた海江田万里(かいえだばんり)(1949― )経済産業大臣に次ぐ2位となり、決選投票で小沢グループへの批判票を集めて逆転に成功、第9代の民主党代表となった。8月30日の衆参両院で首班に指名され第95代内閣総理大臣に就任した。「中国脅威論」を唱え、いわゆる「A級戦犯」は戦争犯罪人ではない、と述べるなど保守派に属し、経済政策では財政再建増税派の中心の一人とされる。2012年11月に衆議院を解散して12月の総選挙に臨んだが、自由民主党に大敗し党代表を辞任、内閣総辞職した。

[伊藤 悟]

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百科事典マイペディア 「野田佳彦」の意味・わかりやすい解説

野田佳彦【のだよしひこ】

政治家。千葉県船橋市出身。父は富山県の農家出身の自衛官。母も千葉県の農家に生まれる。県立船橋高校から,1976年早稲田大学政治経済学部入学,1980年卒業。松下政経塾の第1期生となる。1987年,千葉県議会議員に当選,2期務める。1992年,細川護煕の日本新党結成に参加し,1993年衆議院選挙に千葉県第1区より立候補し当選,1996年,小選挙区制導入後の衆議院選挙で,千葉第4区より新進党から立候補するが僅差で落選する。その後新進党を離党し民主党に入党。2000年の衆議院選挙で当選を果たす。以後連続4回当選(通算5回)。2002年の民主党代表選挙に中堅・若手の支持をまとめ出馬するが落選。民主党国会対策委員長,〈次の内閣〉財務大臣。2005年前原誠司代表のもとで再度国会対策委員長となったが,2006年の〈偽メール問題〉で辞任した。2009年9月,政権交代を果たした鳩山由紀夫内閣で財務副大臣,2010年6月に菅直人内閣で財務大臣に就任し初入閣を果たした。強固な財政再建論者で〈社会保障と税の一体改革〉を持論としている。2011年8月,菅直人の辞任による,民主党代表選挙に出馬し,小沢一郎グループの海江田万里を破り第9代民主党代表に就任,内閣総理大臣(第95代)に就任した。東日本大震災からの復興,福島第一原発事故への対応,対中国関係をはじめとするアジア外交,沖縄基地問題,TPPなどの対米外交等々,山積する内外の課題とともに,財政再建,消費税増税という政権存立の根幹にかかわる難題に直面した。野田政権は,2012年8月消費税増税法案を参議院で民主党・国民新党・自民党・公明党の賛成多数で成立させたが,2012年12月の衆議院選挙で大敗,首相と民主党代表を辞任した。→野田佳彦内閣
→関連項目岡田克也前原誠司

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野田佳彦」の意味・わかりやすい解説

野田佳彦
のだよしひこ

[生]1957.5.20. 千葉,船橋
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2011~12)。1980年早稲田大学政治経済学部を卒業。同 1980年松下政経塾に 1期生として入塾した。1987年千葉県議会議員選挙に立候補して初当選,2期務めた。その後,細川護煕を補佐して日本新党結成に参加,1993年の衆議院議員総選挙で初当選し,細川連立政権を支えた。しかし翌 1994年に細川政権が崩壊し,新進党の結党に参加した。1996年の総選挙で落選,2000年の総選挙に民主党から立候補して再選を果たした。2002年に若手議員を代表して民主党代表選挙に立候補したが鳩山由紀夫に敗れた。2009年民主党が政権交代を実現すると鳩山政権で財務副大臣となり,2010年に菅直人内閣発足と同時に財務大臣に就任。2011年6月,菅首相が内閣不信任決議案の採決直前に退陣する意向を表明,8月に辞任を表明して内閣が総辞職すると,同 8月に行なわれた民主党代表選挙で党代表に選出。同 2011年9月,第95代,62人目の首相に就任した。政権公約にない消費税率の引き上げ,環太平洋経済連携協定 TPPを推進して党内対立を深め,2012年8月に成立した消費増税関連法をめぐっては増税反対派が多数離党して党の分裂を招いた。同 2012年12月の総選挙で自由民主党に壊滅的敗北を喫し,党代表を辞任するとともに内閣総辞職した。

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知恵蔵 「野田佳彦」の解説

野田佳彦

日本の政治家。2011年8月、民主党の第9代代表に選出され、同年9月2日に第95代内閣総理大臣に就任した。歴史的な政権交代から2年近くが過ぎ、ねじれ国会や党内対立によって停滞する政治に国民の不信が募る中で生まれた民主党3人目の首相。東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故の発生で更に、被災地はじめ日本の復興・再生に向けてリーダーシップを発揮することが求められている。
1957年5月20日、千葉県船橋市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。80年に松下政経塾に第1期生として入塾した。87年に千葉県議選に立候補して初当選し、91年には再選。日本新党の結成に参加して、93年の衆院選で初当選したが、同党の解体により新進党に移り、96年の衆院選では落選した。2000年の衆院選で民主党から立候補し、国政に復帰した。国会対策委員長などを経て、10年6月から菅直人内閣で財務大臣を務めた。 
11年の民主党代表選への立候補は、02年以来2度目。候補者5人のうち、1回目の投票では、小沢一郎元代表の支援を受けた海江田万里経済産業相(当時)に続き2位だったが、決選投票で逆転した。投票に先立って行われた演説で、相田みつをの詩「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」を引き、自らをドジョウに例えて「泥くさく政治を前進させる」と決意を述べた。「ドジョウの政治」は国内外のメディアで取り上げられ、ドジョウは彼を表すキーワードになった。
周囲が語る人物像は、実直、地味、責任感が強い、など。県議選への出馬を決めた1986年から財務大臣に就いた2010年まで、平日は千葉県内の駅前で早朝の街頭演説を欠かさなかったという。うまいと定評のある演説は、この活動によって磨かれたとされる。

(原田英美  ライター / 2011年)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野田佳彦」の解説

野田佳彦 のだ-よしひこ

1957- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和32年5月20日生まれ。松下政経塾出身。昭和62年千葉県会議員。平成5年日本新党公認で出馬し衆議院議員に初当選(当選7回)。6年新進党結党に参加。8年総選挙で落選したが,12年の総選挙で民主党公認で当選し,国政に復帰。14年には若手議員の統一候補として民主党代表選に立候補した。党の国会対策委員長,広報委員長などをつとめる。22年菅連立内閣で財務相,同年の菅改造内閣,23年の菅第2次改造内閣でも財務相に留任。23年8月民主党代表となり,第95代首相に就任して連立内閣を発足させた。消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法を成立させ,24年暮れ内閣を総辞職したが総選挙で大敗し,民主党代表も辞任。千葉県出身。早大卒。

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