菅直人(読み)カンナオト

デジタル大辞泉 「菅直人」の意味・読み・例文・類語

かん‐なおと〔クワンなほと〕【菅直人】

[1946~ ]政治家。山口の生まれ。市川房枝のもとでの市民運動家としての活動を経て、昭和55年(1980)社会民主連合から衆院に初当選。平成8年(1996)、橋本内閣に新党さきがけから厚生相として入閣し、薬害エイズ問題などに取り組んだ。同年、民主党結成に参加。平成21年(2009)経済財政政策担当相。平成22年(2010)財務相兼務。同年6月に首相となる。平成23年(2011)の東日本大震災福島第一原発事故への対応を批判され9月に辞任。→野田佳彦

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菅直人」の意味・わかりやすい解説

菅直人
かんなおと
(1946― )

政治家、弁理士。山口県生まれ。東京工業大学卒業。市民運動に長くかかわったのち、1980年(昭和55)の総選挙で旧東京7区から社会民主連合(社民連)公認で衆議院議員に初当選。小選挙区制導入後は東京18区に移り、2010年(平成22)の時点で連続10回当選。社民連では副書記長、政策審議会長を歴任した。1993年(平成5)院内会派「さきがけ日本新党」に所属。1994年新党さきがけに所属し政調会長。1996年第一次橋本龍太郎内閣(はしもとりゅうたろうないかく)で厚生大臣として初入閣した。薬害エイズ問題では血友病患者に直接謝罪をするとともに資料公開を実現し、エイズ患者との和解成立に尽力した。1996年の民主党結成では鳩山由紀夫(はとやまゆきお)とともに代表(政務担当)に就任。1997年末の新進党の解党後、非小沢一郎グループを糾合して翌1998年新しい民主党を結党し党首に就任したが、1999年9月の代表選挙では鳩山由紀夫に敗れた。2002年(平成14)12月に鳩山代表の辞任により同月行われた代表選挙でふたたび代表となった。2003年9月の自由党(党首小沢一郎)との合併後も(党名は民主党のまま)、引き続き代表を務めたが、2004年5月、自らの国民年金保険料未納問題と年金制度改革関連法案での混乱の責任をとり辞任。その後2005年9月の代表選挙では前原誠司(まえはらせいじ)(1962― )に僅差(きんさ)で敗れ、2006年4月の代表選挙でも小沢一郎に敗れた。同月より党代表代行を務める。2009年9月の鳩山由紀夫内閣発足に伴い副総理・国家戦略担当大臣(経済財政政策・科学技術政策担当の内閣府特命大臣を兼任)に就任し、官僚主導から政治主導による予算編成という民主党のマニフェスト実行の責任者となった。2010年1月に財務相、同年6月鳩山首相が沖縄基地問題や政治資金問題などによる支持率低下の責任をとって辞任すると、民主党代表に選出され、同月第94代内閣総理大臣に就任。党および内閣の主要ポストに非小沢一郎グループのメンバーを据え、「脱小沢」をアピールした。内閣支持率の急速な回復を受けて参議院議員選挙に臨んだが、消費税問題での自らの発言などで国民の批判を浴びて改選議席を大きく下回る敗北を喫し、与党は参議院での過半数を失った。9月の民主党代表選では小沢一郎と争い代表に再選され、首班指名後に党役員と内閣の改造を行った。「最小不幸社会」の実現を掲げ、「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を内閣の方針としたが、「ねじれ国会」に伴う政権運営の困難さに加え、9月に起こった尖閣諸島(せんかくしょとう)での海上保安庁の艦艇と中国漁船の衝突事件、北方領土へのロシア大統領の訪問、TPP(環太平洋経済提携協定)への参加問題などへの対応に追われた。さらに2011年3月の東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故の発生により災害対策が最重要課題となった。この状況下で自由民主党に大連立を呼びかけたが不調に終わり、6月には野党提出の内閣不信任決議案に対し、民主党内から同調する動きが出て、決議が可決され民主党が分裂する可能性が高まった。このため震災対応のめどがつきしだい辞任することを表明。自らが示した辞任の条件である「2011年度第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立」を受けて、8月26日に民主党代表を辞任、9月2日に内閣総理大臣を退任した。

[伊藤 悟]

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百科事典マイペディア 「菅直人」の意味・わかりやすい解説

菅直人【かんなおと】

政治家。山口県生れ。東工大卒。特許事務所を開くかたわら市川房枝の支援運動に関わり,政治活動を始める。1977年江田五月らと社会市民連合を結成し,1980年衆議院議員。1994年新党さきがけに移る。早くから市民派の論客として知られ,1996年橋本龍太郎内閣の厚相となり,HIV訴訟原告団に厚生省を代表して公式謝罪するなど厚生行政の改革に取り組む。1996年9月,鳩山由紀夫らと民主党を結成,鳩山とともに代表となる(1997年9月,菅代表,鳩山幹事長の体制に移行)。1998年新〈民主党〉結成を主導,代表に就任したが,1999年9月の代表選挙で鳩山由紀夫に敗れた。2002年12月,鳩山代表の辞任後,党代表に選出,2003年9月自由党小沢一郎党首との合意により自由党は民主党に合併。2004年5月,自身の年金未加入問題などで党代表を辞任。2005年参議院選挙の敗北で岡田克也の代表辞任を受け,前原誠司と代表選挙を争うが敗北。2006年前原代表辞任を受けて,小沢一郎と代表選を戦うが敗北。2009年8月の衆議院総選挙で,民主党は大勝,念願の政権交代を果たす。2009年9月発足した鳩山由紀夫内閣で,副総理兼内閣府特命大臣(国家戦略担当)として入閣。2010年1月財務大臣就任。2010年6月,鳩山由紀夫の首相辞任を受け,民主党代表選挙に立候補,代表に就任し,首班指名選挙で,第94代内閣総理大臣に就任,菅直人内閣を発足させた。発足時の世論調査の支持率は60%と高支持だったが,2010年7月の参議院選挙は,財政再建との関連でふれた消費税発言もあって民主党は議席を大きく減らし,参議院で過半数を取れないねじれ状態が続くこととなった。しかし,2010年9月の民主党代表選挙で小沢一郎を破り,内閣改造・民主党役員の交代で執行体制の立て直しを図った。野党が攻勢を強め,財政再建をはじめ問題が山積するなか,2011年3月,日本は東日本大震災福島第一原発の大事故という,戦後最悪の大災害に見舞われ,日本の再建という,政治生命のかかる重大な課題に取り組んだが,自民・公明両党による不信任案に民主党内小沢派から同調する動きが出るなど,政権基盤を揺さぶられ,8月,首相辞任に追い込まれた。後任の民主党代表には野田佳彦が選任され,野田を首班とする野田佳彦内閣が発足,その後小沢派が民主党を離れるなど民主党は党勢を失ったまま,2012年12月の衆議院解散総選挙で大敗し,政権を自民・公明連立による第二次安倍晋三内閣に明け渡すこととなった。
→関連項目岡田克也小渕恵三内閣緊急災害対策本部細野豪志前原誠司

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菅直人」の意味・わかりやすい解説

菅直人
かんなおと

[生]1946.10.10. 山口,宇部
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2010~11)。東京工業大学理学部卒業後,弁理士となりさまざまな市民運動に参加。1974年の参議院議員通常選挙市川房枝の選挙活動を指揮したことが契機となって政界に入る。1977年江田三郎とともに社会市民連合を結成,翌 1978年田英夫らと合流して社会民主連合を結成する。1980年の衆議院議員総選挙で初当選を果たし,社会民主連合政策委員長として医療年金,福祉,税制などの問題に取り組む。1994年新党さきがけに参加,政務調査会会長を務める。1996年に発足した橋本龍太郎内閣に厚生大臣として入閣,おりから係争中であった薬害エイズ事件をめぐる訴訟の解決に尽力し,和解に道を開いた。1996年鳩山由紀夫らとともに民主党を結成,鳩山と並んで党代表となる。1998年4月民政党,民主改革連合,新党友愛との合同で成立した新しい民主党の代表に就任。2003年9月には自由党との合併も果たす。民主党が野党第一党として勢力を伸ばすなか,党内の中枢にあって党代表,政策調査会長,幹事長などの要職を歴任した。2004年5月党代表を辞任。2009年9月民主党が政権をとると鳩山由紀夫内閣の副総理兼内閣府特命担当大臣に就任。2010年6月鳩山首相の退陣により党代表に選出され,第94代,61人目の首相に就任した。2011年8月に退陣した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅直人」の解説

菅直人 かん-なおと

1946- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和21年10月10日生まれ。特許事務所をひらくかたわら,市民参加の政治活動を展開し,昭和52年江田三郎と社会市民連合を結成。55年衆議院議員に初当選(当選12回)。60年社会民主連合の副代表。平成6年新党さきがけに属し,8年橋本連立内閣の厚相。エイズ薬害訴訟で和解に尽力。同年民主党の結成にくわわり,鳩山由紀夫とともに代表。9年2人代表制廃止後の党代表。のち党政調会長,幹事長。15年ふたたび党代表となる。21年鳩山連立内閣の副総理・国家戦略担当相。22年財務相(副総理と経済財政担当を兼務)。同年6月米軍普天間飛行場の移設問題や政治とカネの問題で辞任した鳩山由紀夫のあとをうけ,第94代首相に就任。同年9月小沢一郎との民主党代表選に勝利し,改造内閣を発足させた。山口県出身。東京工業大卒。

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367日誕生日大事典 「菅直人」の解説

菅 直人 (かん なおと)

生年月日:1946年10月10日
昭和時代;平成時代の政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の菅直人の言及

【55年体制】より

… その後,細川,羽田孜の非自民連立政権を経て,94年6月に自民,社会,さきがけの3党による村山富市連立政権が成立し,自民党は政権に復帰したが,政党配置図の変転はさらに続いた。まず,94年12月に新生党,日本新党,公明党,民社党が合体して,新進党が結成され,96年1月には自民党主導の橋本竜太郎政権が成立し,同年9月には,さきがけと社民党(1996年1月に社会党は党名を変更)からの離党者を軸に鳩山由紀夫,菅直人を双頭のリーダーとして民主党が作られた。このような政党配置図の変転をさらに刺激したのが,政治改革の一つの成果として94年に導入された衆院議員選挙のための小選挙区比例代表並立制(〈比例代表制〉の項を参照)にほかならない。…

※「菅直人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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