コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

菅直人 かんなおと

5件 の用語解説(菅直人の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

菅直人
かんなおと

[生]1946.10.10. 山口,宇部
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2010~11)。東京工業大学理学部卒業後,弁理士となりさまざまな市民運動に参加。1974年の参議院議員通常選挙市川房枝の選挙活動を指揮したことが契機となって政界に入る。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

かん‐なおと〔クワンなほと〕【菅直人】

[1946~ ]政治家。山口の生まれ。市川房枝のもとでの市民運動家としての活動を経て、昭和55年(1980)社会民主連合から衆院に初当選。平成8年(1996)、橋本内閣に新党さきがけから厚生相として入閣し、薬害エイズ問題などに取り組んだ。同年、民主党結成に参加。平成21年(2009)経済財政政策担当相。平成22年(2010)財務相兼務。同年6月に首相となる。平成23年(2011)の東日本大震災福島第一原発事故への対応を批判され9月に辞任。→野田佳彦

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

菅直人【かんなおと】

政治家。山口県生れ。東工大卒。特許事務所を開くかたわら市川房枝の支援運動に関わり,政治活動を始める。1977年江田五月らと社会市民連合を結成し,1980年衆議院議員
→関連項目岡田克也小渕恵三内閣緊急災害対策本部細野豪志前原誠司

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菅直人 かん-なおと

1946- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和21年10月10日生まれ。特許事務所をひらくかたわら,市民参加の政治活動を展開し,昭和52年江田三郎と社会市民連合を結成。55年衆議院議員に初当選(当選12回)。60年社会民主連合の副代表。平成6年新党さきがけに属し,8年橋本連立内閣の厚相。エイズ薬害訴訟で和解に尽力。同年民主党の結成にくわわり,鳩山由紀夫とともに代表。9年2人代表制廃止後の党代表。のち党政調会長,幹事長。15年ふたたび党代表となる。21年鳩山連立内閣の副総理・国家戦略担当相。22年財務相(副総理と経済財政担当を兼務)。同年6月米軍普天間飛行場の移設問題や政治とカネの問題で辞任した鳩山由紀夫のあとをうけ,第94代首相に就任。同年9月小沢一郎との民主党代表選に勝利し,改造内閣を発足させた。山口県出身。東京工業大卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

菅直人
かんなおと
(1946― )

政治家、弁理士。山口県生まれ。東京工業大学卒業。市民運動に長くかかわったのち、1980年(昭和55)の総選挙で旧東京7区から社会民主連合 (社民連)公認で衆議院議員に初当選。小選挙区制導入後は東京18区に移り、2010年(平成22)の時点で連続10回当選。社民連では副書記長、政策審議会長を歴任した。1993年(平成5)院内会派さきがけ日本新党」に所属。1994年新党さきがけに所属し政調会長。1996年第一次橋本龍太郎内閣(はしもとりゅうたろうないかく)で厚生大臣として初入閣した。薬害エイズ問題では血友病患者に直接謝罪をするとともに資料公開を実現し、エイズ患者との和解成立に尽力した。1996年の民主党結成では鳩山由紀夫(はとやまゆきお)とともに代表(政務担当)に就任。1997年末の新進党の解党後、非小沢一郎グループを糾合して翌1998年新しい民主党を結党し党首に就任したが、1999年9月の代表選挙では鳩山由紀夫に敗れた。2002年(平成14)12月に鳩山代表の辞任により同月行われた代表選挙でふたたび代表となった。2003年9月の自由党(党首小沢一郎)との合併後も(党名は民主党のまま)、引き続き代表を務めたが、2004年5月、自らの国民年金保険料未納問題と年金制度改革関連法案での混乱の責任をとり辞任。その後2005年9月の代表選挙では前原誠司(まえはらせいじ)(1962― )に僅差(きんさ)で敗れ、2006年4月の代表選挙でも小沢一郎に敗れた。同月より党代表代行を務める。 2009年9月の鳩山由紀夫内閣発足に伴い副総理・国家戦略担当大臣(経済財政政策・科学技術政策担当の内閣府特命大臣を兼任)に就任し、官僚主導から政治主導による予算編成という民主党のマニフェスト実行の責任者となった。2010年1月に財務相、同年6月鳩山首相が沖縄基地問題や政治資金問題などによる支持率低下の責任をとって辞任すると、民主党代表に選出され、同月第94代内閣総理大臣に就任。党および内閣の主要ポストに非小沢一郎グループのメンバーを据え、「脱小沢」をアピールした。内閣支持率の急速な回復を受けて参議院議員選挙に臨んだが、消費税問題での自らの発言などで国民の批判を浴びて改選議席を大きく下回る敗北を喫し、与党は参議院での過半数を失った。9月の民主党代表選では小沢一郎と争い代表に再選され、首班指名後に党役員と内閣の改造を行った。「最小不幸社会」の実現を掲げ、「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を内閣の方針としたが、「ねじれ国会」に伴う政権運営の困難さに加え、9月に起こった尖閣諸島(せんかくしょとう)での海上保安庁の艦艇と中国漁船の衝突事件、北方領土へのロシア大統領の訪問、TPP(環太平洋経済提携協定)への参加問題などへの対応に追われた。さらに2011年3月の東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故の発生により災害対策が最重要課題となった。この状況下で自由民主党に大連立を呼びかけたが不調に終わり、6月には野党提出の内閣不信任決議案に対し、民主党内から同調する動きが出て、決議が可決され民主党が分裂する可能性が高まった。このため震災対応のめどがつきしだい辞任することを表明。自らが示した辞任の条件である「2011年度第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立」を受けて、8月26日に民主党代表を辞任、9月2日に内閣総理大臣を退任した。[伊藤 悟]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の菅直人の言及

【55年体制】より

… その後,細川,羽田孜の非自民連立政権を経て,94年6月に自民,社会,さきがけの3党による村山富市連立政権が成立し,自民党は政権に復帰したが,政党配置図の変転はさらに続いた。まず,94年12月に新生党,日本新党,公明党,民社党が合体して,新進党が結成され,96年1月には自民党主導の橋本竜太郎政権が成立し,同年9月には,さきがけと社民党(1996年1月に社会党は党名を変更)からの離党者を軸に鳩山由紀夫,菅直人を双頭のリーダーとして民主党が作られた。このような政党配置図の変転をさらに刺激したのが,政治改革の一つの成果として94年に導入された衆院議員選挙のための小選挙区比例代表並立制(〈比例代表制〉の項を参照)にほかならない。…

※「菅直人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

菅直人の関連キーワード池井優内山秀夫大久保直彦岡野加穂留佐々木毅多賀谷真稔原田憲東中光雄藤原保信正森成二

今日のキーワード

朝鮮大学校

東京都小平市にある在日朝鮮人子弟のための学校。1956年設立,1968年各種学校として認可。朝鮮総連系の東京朝鮮学園が経営。大学教育に準ずる民族教育を目的とし,4年制の文学,歴史地理,政治経済,経営,...

続きを読む

コトバンク for iPhone

菅直人の関連情報