前坂村
まえざかむら
野沢の盆地の南に位置し、赤滝川を境として志久見郷と相対する小菅庄の北端を占めている。昭和三〇年(一九五五)四月一日飯山市より分市して野沢温泉村に合併した。
この村は中世永く小菅庄に属しており、小菅神社の祭事に勤仕し、北竜湖東岸にあった大菅集落から移住している旧家が多い。
慶長七年(一六〇二)の森忠政の検地の際は事情あって竿請ができなかったため、松平忠輝領となった慶長一〇年八月、皆川広照の家臣剣持次右衛門奉行によって検地され、名請人二八名、村高は八六石三斗八升五合である。
前坂村
まえさかむら
喜多村の北、加古川中流域東岸に位置する。山麓沿いに丹波へ至る道があり、北の黒田村との境に峠がある。慶長国絵図に村名が記載される。領主の変遷は岡村と同じ。正保郷帳では田方四五八石余・畑方四〇石余。天保郷帳では高五一三石。西沢の新開は宝暦元年(一七五一)に小苗村忠太郎ほか二人の譲状(黒田村史史料)があるので、この頃すでに開発されていた。
前坂村
まえさかむら
[現在地名]弘前市前坂
北は高杉村、南は独狐村、東は小山村、西は宮館村に接する。
貞享四年(一六八七)の検地帳によれば、村高一三七・〇六七石、うち田方一〇三・八七二石、畑方三三・一九五石、田位は上田から下々田まであり、斗代は上田で一・一石と低い。畑方では上畑がない。村内に寺社はなく、漆木は一千四四七本と多い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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