日本大百科全書(ニッポニカ) 「フルベッキ」の意味・わかりやすい解説
フルベッキ
ふるべっき
Guido Herman Fridolin Verbeck
(1830―1898)
アメリカ改革派(オランダ系)の宣教師。オランダ生まれ。モラビア派の信仰の影響を受けて育ち、ユトレヒトの工業学校で土木技術を学んでアメリカに移住。コレラにかかった体験が契機となりオーバン神学校を卒業して宣教師となる。シモンズDuane B. Simmons(1834―1889)、S・R・ブラウンと来日(1859)した。佐賀藩の学校致遠館(ちえんかん)で教えた青年たち(大隈重信(おおくましげのぶ)、副島種臣(そえじまたねおみ)ら)が明治政府の枢要な地位についたため、東京の大学南校(現、東京大学)の教頭に招かれ(1869)、破格の待遇を得る。明治政府のために開港、開国、開教(信教の自由)、教育の各領域にわたって宣教師の役割を超えて力を尽くす(1875まで)。その後は全国各地を旅行してキリスト教の伝道に専念し、りっぱな日本語で説教と講演を行い、明治学院で教え、聖書の翻訳では『旧約聖書』の「詩篇(しへん)」を植村正久と担当した。68歳で東京で死去。
[川又志朗 2018年8月21日]
『高谷道男編訳『フルベッキ書簡集』(1978/オンデマンド版・2007・新教出版社)』