劉賓雁(読み)りゅうひんがん(英語表記)Liu Bin-yan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

劉賓雁
りゅうひんがん
Liu Bin-yan

[生]1925.2.7. 中国吉林長春
[没]2005.12.5. アメリカ合衆国,ニュージャージー,イーストウィンザー
中国の作家,ジャーナリスト。新聞記者として出発し,1956年に官僚主義や幹部の腐敗など社会主義体制の暗部を批判するルポルタージュ『橋梁工事現場にて』『本紙内部消息』を発表して注目されるが,1957年の反右派闘争で右派分子と批判され,執筆禁止処分を受け,強制労働に処された。 1978年名誉回復し,文化大革命終息後も解消されない官僚主義,支配権力の腐敗を鋭く批判して,1979年に『人妖の間』を発表。 1987年初め,民主化運動を支持したとして,党籍を剥奪された。 1988年に渡米し,中国民主化への言論活動を続け,1989年には作家協会から除名された。生涯,帰国がかなわなかった。

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デジタル大辞泉の解説

りゅう‐ひんがん〔リウ‐〕【劉賓雁】

[1925~2005]中国の小説家ジャーナリスト。吉林省長春の人。新聞記者としての取材に基づき、1956年、官僚主義批判の「本報内部消息」などを発表。1958年から1978年まで農村などへ追われて執筆停止、1979年にルポ「人妖之間」で復活。1989年の天安門事件後に米国へ亡命、中国の民主化運動を言論活動で支援した。リウ=ピンイエン。

リウ‐ピンイエン【劉賓雁】

りゅうひんがん(劉賓雁)

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百科事典マイペディアの解説

劉賓雁【りゅうひんがん】

中国のジャーナリスト・作家および反体制運動家。吉林省生れ。1944年に中国共産党に入党し,1951年に北京に移ってジャーナリスト活動を開始した。しかし,共産党に対する官僚主義批判などをルポルタージュとして発表したことなどを理由に,1957年に右派分子として創作活動停止処分を受けた。文化大革命後,1979年に名誉回復し,《人民日報》の記者となるが,共産党の政治的腐敗や民衆への人権抑圧を取材・執筆・発表したことにより,1987年に共産党を除名された。1989年のアメリカ滞在中に天安門事件が発生したため,民主化運動弾圧を厳しく批判しそのまま亡命,国外で反体制亡命家組織に参加した。主著に《人妖之間》《劉賓雁自伝》などがある。

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世界大百科事典内の劉賓雁の言及

【中国文学】より

…彼は,中共中央に提出した長文の《文芸に関する意見》(1954)で,〈指導〉という名の党の干渉こそは文芸を窒息させるもとであるとして,文芸により広範な自由を与えよ,と主張したが,中共は毛沢東の直接指導下に,胡風を〈反革命分子〉として断罪した。ついで,反右派闘争(1957)の過程では,党の官僚主義を批判する作品を書いた若い作家の王蒙や劉賓雁などが〈右派分子〉として批判され,これ以後,党の〈指導〉を問題にすることは,事実上タブーとなった。 むろん,だからといって作家たちがまったく窒息させれられていたわけではなく,50年代末から60年代初めにかけては質的にかなり高い作品が数多く現れた。…

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