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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…彼は,中共中央に提出した長文の《文芸に関する意見》(1954)で,〈指導〉という名の党の干渉こそは文芸を窒息させるもとであるとして,文芸により広範な自由を与えよ,と主張したが,中共は毛沢東の直接指導下に,胡風を〈反革命分子〉として断罪した。ついで,反右派闘争(1957)の過程では,党の官僚主義を批判する作品を書いた若い作家の王蒙や劉賓雁などが〈右派分子〉として批判され,これ以後,党の〈指導〉を問題にすることは,事実上タブーとなった。 むろん,だからといって作家たちがまったく窒息させれられていたわけではなく,50年代末から60年代初めにかけては質的にかなり高い作品が数多く現れた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」