劉鶚(読み)リュウガク

デジタル大辞泉 「劉鶚」の意味・読み・例文・類語

りゅう‐がく〔リウ‐〕【劉鶚】

[1857~1909]中国、清末の実業家作家。丹徒(江蘇省)の人。名は夢鵬、あざなは鉄雲。華北の鉄道敷設や山西の鉱山開発などを建議したが、のち新疆しんきょうに流されて死亡小説老残遊記」の作者として知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉鶚」の意味・わかりやすい解説

劉鶚
りゅうがく
(1857―1909)

中国、清(しん)末の文人、学者。字(あざな)は鉄雲。筆名は鴻都(こうと)百煉生。江蘇(こうそ)省丹徒県の人。数学、医学、水利などの学問に興味をもって、科挙に打ち込まず、河南巡撫(じゅんぶ)、山東巡撫の幕客となって黄河の治水功績を残した。また清朝政府に鉄道建設や山西の炭鉱開発のため外債を募ることなどを建議した。その後官界を離れて財界で活躍しようとしたが、事業に失敗。義和団事件の際に、八国連合軍と交渉し、太倉の政府米を得て北京(ペキン)の難民救済にあてたが、両江総督に弾劾されて新疆(しんきょう)ウルムチ流刑となり病死した。晩年に小説『老残遊記』がある。

[尾上兼英]

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改訂新版 世界大百科事典 「劉鶚」の意味・わかりやすい解説

劉鶚 (りゅうがく)
Liú È
生没年:1857-1909

中国,清末の事業家にして文人。江蘇省丹徒の人。字は鉄雲。早くから黄河治水,鉱山開発,市場経営など各種の事業に身を投じ,治水の功績で官途に就いたこともある。1900年(光緒26)義和団事件に際し,難民救済のため政府に無断で官米を放出,ために新疆に流され死んだ。治水関係の著書のほか,当時発見されたばかりの甲骨文字の資料集《鉄雲蔵亀》(1903),異色の小説《老残遊記》などで知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「劉鶚」の意味・わかりやすい解説

劉鶚
りゅうがく
Liu E

[生]咸豊7(1857)
[没]宣統1(1909)
中国,清末の小説家。江蘇省丹徒 (鎮江市) の人。字,鉄雲。初め医者となったり,商業に従事したりしたが失敗,やがて政治に志を立て,要路の人物に近づき,光緒 14 (1888) 年黄河が決壊したときその治水に功績をあげた。その後,鉄道敷設,鉱山開発のための外資導入をはかったりしたが,義和団事変に際してロシア軍から政府米を買い難民に売ったのが罪に問われ,新疆に流され,そこで没した。老残という名の人物が山東の各地を遍歴して出会う事件を書いた口語小説『老残遊記』があり,官吏が国を誤る罪を鋭く指摘した。また,甲骨の収集で知られ,『鉄雲蔵亀』 (1903) の著があり,甲骨文研究の端緒をつくった。 (→甲骨学 )  

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世界大百科事典(旧版)内の劉鶚の言及

【甲骨学】より

…きわめて古い書体の文字であるために学者の注意を引き,以後小屯村一帯で農民による盗掘がたびたび行われ,甲骨文が入手されるとともに,学者などによる収集と研究が行われた。1903年に,最初の甲骨文資料集である劉鶚の《鉄雲蔵亀》が出版され,1058片の資料が紹介された。編者の劉鶚はその序文のなかで,甲骨文中にあらわれる祖先名は,殷の人であると推定している。…

【老残遊記】より

…中国,清末の小説。劉鶚(りゆうがく)が洪都百錬生の筆名で雑誌に連載ののち1907年(光緒33)ごろ単行。全20回。…

※「劉鶚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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