加藤枝直(読み)カトウエナオ

関連語 生年月日

精選版 日本国語大辞典 「加藤枝直」の意味・読み・例文・類語

かとう‐えなお【加藤枝直】

  1. 江戸中期の歌人、国学者。千蔭(ちかげ)の父。姓、橘。名は為直。号は芳宜園(はぎぞの)など。伊勢国三重県)の人。江戸南町奉行の与力となり、のち出家。賀茂真淵師事古風を重んじた華麗な歌風江戸派の祖と称される。家集「東歌」六巻がある。元祿五~天明五年(一六九二‐一七八五

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改訂新版 世界大百科事典 「加藤枝直」の意味・わかりやすい解説

加藤枝直 (かとうえなお)
生没年:1692-1785(元禄5-天明5)

江戸中期の歌人。伊勢松坂の人。通称左衛門,号は南山。舎号常世庵,芳宜園(はぎぞの)。1718年(享保3)江戸に出,大岡忠相配下となり,与力を務めた。幼時より和歌に親しんだが,江戸に出てきた賀茂真淵と相知り,その門人となるとともに師の保護者ともなり,自邸内に師の家を建てそこに住まわせた。80余歳のとき自撰歌をまとめ《東(あずま)歌》(6巻)と題し,子の千蔭がこれを刊行した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤枝直」の解説

加藤枝直 かとう-えなお

1693*-1785 江戸時代中期の武士,歌人。
元禄(げんろく)5年12月11日生まれ。加藤千蔭の父。江戸にでて,大岡忠相(ただすけ)配下の与力となる。和歌にしたしみ,江戸にきた賀茂真淵(かもの-まぶち)の保護者となるとともに門弟となった。天明5年8月10日死去。94歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。姓は橘とも称した。初名は為直。通称は又左衛門。号は南山,常世庵,芳宜園。歌集に「東歌(あずまうた)」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤枝直」の意味・わかりやすい解説

加藤枝直
かとうえなお

[生]元禄5(1692).12.11. 伊勢,松坂
[没]天明5(1785).8.10.
江戸時代中期の歌人,国学者。本姓,橘氏。通称,又左衛門。家号,芳宜園 (はぎぞの) 。加藤千蔭の父。町与力をつとめた。古今風の歌を詠む。江戸派の祖。家集『あづま歌』 (1801) 。

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367日誕生日大事典 「加藤枝直」の解説

加藤枝直 (かとうえなお)

生年月日:1692年12月11日
江戸時代中期の歌人
1785年没

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