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橘氏 たちばなうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

橘氏
たちばなうじ

古代の名族。皇別。敏達天皇5世の孫美努 (みぬ) 王から出た。美努王は県犬養 (あがたのいぬかい) 三千代を妻として,葛城王と佐為王とをもうけた。和銅1 (708) 年三千代が大嘗会の宴に列席し,天皇から杯に浮ぶ橘を賜わり,かつ橘宿禰 (すくね) の姓を贈られた。

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百科事典マイペディアの解説

橘氏【たちばなうじ】

古代の氏族。美努(みの)王の妻県犬養(あがたのいぬかい)三千代が708年に橘宿禰(すくね)の氏姓を与えられる(橘三千代)。子の諸兄(もろえ)は左大臣になったが,奈良麻呂は藤原仲麻呂を除こうとして失敗。
→関連項目氏長者学館院名字の地

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世界大百科事典 第2版の解説

たちばなうじ【橘氏】

古代に勢力をもった氏。県犬養三千代が708年(和銅1)11月,歴代の天皇に仕えた功により橘宿禰の氏姓を賜った(橘三千代)。ついで736年(天平8)11月,美努王との間の子の葛城王と佐為王は臣籍に下って母の氏姓をつぎたい旨を上表して認められ,橘宿禰諸兄および同佐為(さい)と名のるようになった。これが橘氏のおこりである。750年(天平勝宝2)1月,諸兄は朝臣の姓(かばね)を賜っている。彼は737年の藤原4卿の急死によって政権を掌握し左大臣にまで昇ったが,藤原仲麻呂と対立し,密告によって756年2月に辞任し,翌年1月没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

橘氏
たちばなうじ

源平藤橘(げんぺいとうきつ)と総称される四大姓の一つ。708年(和銅1)元明(げんめい)女帝即位の大嘗会(だいじょうえ)に際し、県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)(藤原不比等(ふじわらのふひと)の妻)が天武朝(てんむちょう)以来後宮に仕えた功労を賞せられ、坏(さかずき)に浮かぶ橘にちなんでこの氏を賜ったのに始まる。733年(天平5)三千代は没したが、736年三千代の遺児(前夫美努(みぬ)王の子)葛城王、佐為(さい)王は母姓を継がんと奏請して許され、橘諸兄(もろえ)、同佐為と名のった。佐為は直後に没したが、諸兄は以後大納言(だいなごん)、右大臣、左大臣と昇進し、正一位に至り、十数年にわたり政治の実権を握り、750年(天平勝宝2)には宿禰(すくね)姓から朝臣(あそん)姓に昇った。757年、子の奈良麻呂(ならまろ)が藤原仲麻呂打倒のクーデターに失敗して倒れ、一時衰えたが、平安初期、嵯峨天皇(さがてんのう)の皇后橘嘉智子(かちこ)(檀林皇后(だんりんこうごう))が出ると、弟氏公(うじきみ)は右大臣となりふたたび繁栄を取り戻した。しかし、その後は藤原氏に押されて、承和(じょうわ)の変(842)で逸勢(はやなり)は流罪となり、阿衡事件(あこうじけん)(887)では広相(ひろみ)が苦境にたつなど、衰退の途(みち)をたどり、大学別曹(べっそう)の学館院(がっかんいん)の管理、氏挙(うじのきょ)なども藤原氏にゆだねることとなった。橘氏の後裔(こうえい)を称する者は諸国に多いが、なかでも河内(かわち)の楠木(くすのき)氏は有名である。[黛 弘道]

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世界大百科事典内の橘氏の言及

【県犬養氏】より

…神魂命(かむむすひのみこと)の後裔と称する神別氏族で,本姓は連(むらじ)であったが,672年の壬申の乱に一族の大伴が大海人皇子の舎人として功を立て,684年(天武13)八色の姓(やくさのかばね)の制定にともなって宿禰(すくね)姓を改賜された。一族の三千代(橘三千代)は天武朝から元正朝までの5朝に歴任し,元明天皇から橘氏を賜った。彼女は夫藤原不比等を助けるかたわら,同族の繁栄をはかり,県犬養広刀自を聖武天皇の夫人とした。…

【学館院】より

…平安時代の橘氏の子弟のための教育施設。学官院,学宦院とも記す。…

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