勝田神社(読み)かんだじんじや

日本歴史地名大系 「勝田神社」の解説

勝田神社
かんだじんじや

[現在地名]米子市博労町二丁目

JR境線博労町ばくろうまち駅の東方、かつての伯耆街道(出雲街道)東側にある。旧郷社。主祭神は天忍穂耳命。創建の時期は不明。伝承によれば中世には会見あいみ外江とのえ(現境港市)鎮座していたとされ、同所一帯は勝田庄に含まれていた(永禄一〇年一一月付補岩寺蔵木造阿弥陀如来坐像墨書銘)。のち新屋にいや(現同上)に移り、文安(一四四四―四九)以降東方の勝田山に遷座、さらに天文年間(一五三二―五五)現在地に移ったとされる(県神社誌)。「伯耆志」は祭神を天忍穂耳命とすることについて信じがたしとし、北弓ヶ浜の開拓者と伝える勝田上総介の霊を祀る社かと推定している。また現社地への移転は加藤貞泰時代ともされ、米子城鬼門鎮護の社として崇敬されたという(県神社誌)


勝田神社
かつたじんじや

[現在地名]勝央町勝間田 宮ノ下

みやしたに鎮座。祭神天照大神ほか、旧村社。「東作誌」にみえる西王子にしおうじ権現で、地元では「かつまだ」とよぶ場合もある。縁起によれば、文明一〇年(一四七八)戸倉とくら城主塩見貞満が伊勢大神宮から勧請し、創建したという。大永元年(一五二一)本堂を塩見入道が建立、幕府代官近山清兵衛が石灯籠一対と田畑一反六畝を寄進、安永元年(一七七二)大坂城代久世氏が御輿を寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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