勢力富五郎(読み)セイリキトミゴロウ

デジタル大辞泉 「勢力富五郎」の意味・読み・例文・類語

せいりき‐とみごろう〔‐とみゴラウ〕【勢力富五郎】

[1813~1849]江戸後期の博徒下総しもうさの人。本名佐助。もと力士で、笹川繁蔵子分飯岡助五郎を殺そうとし、逆にその策に乗せられて自殺。「天保水滸伝てんぽうすいこでん」に潤色され、浪曲にもとられる。

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精選版 日本国語大辞典 「勢力富五郎」の意味・読み・例文・類語

せいりき‐とみごろう‥とみゴラウ【勢力富五郎】

  1. [ 一 ] 江戸末期の博徒の頭領。本名佐助。下総国万歳村(千葉県旭市)の人。笹川繁蔵の子分。博徒飯岡助五郎とあらそい、彼を殺そうとして、かえって謀られて自殺した。演劇実録、浪曲に題材としてとられ名高い。文化一〇~嘉永二年(一八一三‐四九
  2. [ 二 ] 歌舞伎脚本「群清滝贔屓勢力(むれきよたきひいきのせいりき)」の通称

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朝日日本歴史人物事典 「勢力富五郎」の解説

勢力富五郎

没年:嘉永2.4.28(1849.5.20)
生年:文化14(1817)
江戸後期の侠客。本名は柴田佐助。下総国香取郡(千葉県)万歳村の生まれ。幼時より力自慢で相撲が強く,千賀浦部屋に入門するが故郷に舞い戻って博奕打ちとなり,下総笹川河岸を縄張りに売り出した笹川繁蔵の一の子分となった。天保15(1844)年の飯岡助五郎との出入りには繁蔵を助けて奮戦,弘化4(1847)年繁蔵が暗殺されたあとは,残された子分と共に助五郎をねらうが果たせず,嘉永2(1849)年関東取締出役の大掛かりな追っ手に囲まれ,潜伏先の金比羅山(千葉県東庄町)で自殺した。これ以降,里人は金比羅山を勢力山と呼ぶようになった。一連の事件は講談,浪曲の「天保水滸伝」となって後世に喧伝された。

(高橋敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勢力富五郎」の解説

勢力富五郎 せいりき-とみごろう

1817-1849 江戸時代後期の侠客(きょうかく)。
文化14年生まれ。下総(しもうさ)香取郡(千葉県)の人。江戸で力士となったが郷里にかえり,笹川繁蔵(ささがわの-しげぞう)の子分となる。繁蔵が暗殺されたあと,宿敵飯岡(いいおかの)助五郎をねらい,関東取締出役(とりしまりしゅつやく)の追っ手にかこまれ嘉永(かえい)2年4月28日自殺した。33歳。本名は柴田佐助。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「勢力富五郎」の解説

勢力富五郎
(通称)
せいりき とみごろう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
巌石砕瀑布勢力
初演
明治29.6(東京・市村座)

勢力富五郎
せいりき とみごろう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治25.11(名古屋・橘座)

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