関東取締出役(読み)カントウトリシマリシュツヤク

デジタル大辞泉 「関東取締出役」の意味・読み・例文・類語

かんとうとりしまり‐しゅつやく〔クワントウとりしまり‐〕【関東取締出役】

江戸幕府の職名。勘定奉行の直属下に編成され、関八州を幕領・私領(水戸藩を除く)の区別なく巡回し、治安の取り締まりに当たった。文化2年(1805)設置。八州廻り。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「関東取締出役」の意味・読み・例文・類語

かんとうとりしまり‐でやく クヮントウ‥【関東取締出役】

〘名〙 江戸幕府の職名の一つ。文化二年(一八〇五)、関八州の悪党、無宿、博徒の取締り逮捕を目的に設けられた。関東代官四役所から、手付、手代二人ずつを選任して、勘定奉行の直轄とし、関八州の御料、私領、寺社領の別なく巡回させた。逮捕者は勘定奉行に差し出した。俗に八州回り、八州様ともいう。関東取締役。
※地方落穂集追加(1843‐45頃)四「関東御取締出役私ども手附手代どもへ、寺社奉行衆より御掛合之趣を以両御奉行所より御下知有之」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「関東取締出役」の意味・わかりやすい解説

関東取締出役 (かんとうとりしまりしゅつやく)

江戸後期の幕府の職名。通称〈八州廻り〉。1805年(文化2)関東地方の治安強化維持を目的として創設。関東代官の手付,手代の中から選任され,勘定奉行直属下に編成され,幕府直轄領および私領にもその警察権を行使した。18世紀の後半とくに天明の大飢饉以降,関東の農村における農民層の階層分化は激化し,巨大な富を蓄積する豪農層の成長する反面,潰れ百姓,水呑,日雇,出稼,職人,零細な農間余業者,あるいは無宿という,いわゆる没落農民が広範に形成されるようになった。とくに無宿,博徒,渡世人と呼ばれた遊民化した浮浪人層の増大は,領主支配の秩序を脅かす不穏勢力となってきた。

 しかし,これまでの関東領国体制では,十分にそれらの新しい情勢に対応することができなかった。すなわち,関東の所領形態は幕府直轄領(御料),大名領,旗本知行所,寺社領などが複雑に入り組み,錯綜していたので統一的な警察権が発揮できず,そのうえ,代官・旗本・寺社領などは独自の軍事・警察力をほとんどもっていなかったので無宿,悪党の跳梁や百姓一揆の勃発に対しては,まったく無力に等しい状態であった。

 この支配体制の危機を克服するために新設されたのが関東取締出役であった。最初は8名で2人1組となって水戸領を除く関八州を御料,私領の区別なく廻村し,無宿,悪党の捜査逮捕や百姓一揆の動静を探るなどの警察的任務を主として発足した。さらに,この方向を徹底させるものとして,27年(文政10)文政の取締改革が施行された(文政改革)。この改革は出役の活動を効果的にするために,領主の異同に関係なく近隣40~50ヵ村を単位組合村を編成し,取締区域を設定したものである。横浜開港後の60年(万延1)には,横浜警備のため出役は保土ヶ谷宿常駐したのをはじめ,江戸府内の入口である品川,板橋,千住,内藤新宿にも常詰となり,出役の人数も増員された。66年(慶応2)の武州世直し一揆の鎮圧にも活躍した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「関東取締出役」の意味・わかりやすい解説

関東取締出役
かんとうとりしまりしゅつやく

江戸後期の幕府の職名。八州廻(まわ)りともいう。1805年(文化2)関東地方の治安維持強化を目的として創設される。関東代官の手付(てづき)、手代(てだい)のなかから10名が選任され、勘定奉行(ぶぎょう)直属下に編成され、うち8名が2名1組となって廻村(かいそん)、幕府直轄領および私領にも警察権を行使した。18世紀の後半、天明(てんめい)の飢饉(ききん)以降、関東農村の荒廃、農民層の階層分化などにより、豪農層の出現とともに、一方では土地を手放して没落する農民も少なくなかった。彼らのなかには無宿や渡世人(とせいにん)とよばれ、遊民化する者も多く、しだいに不穏勢力となってきた。関東取締出役はこのような状況に対応するものとして設置され、1827年(文政10)の文政(ぶんせい)の改革により組合村(くみあいむら)を設置するなど、いっそう取締り支配の徹底化が図られた。

[森 安彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「関東取締出役」の意味・わかりやすい解説

関東取締出役【かんとうとりしまりしゅつやく】

江戸幕府の職名。〈かんとうとりしまりでやく〉とも。所領形態が錯綜していた関東地方の支配強化と治安維持を目的として,1805年創設。勘定奉行支配下に強力な警察権をもち,幕府領・私領を問わず警察権を行使できた。関東代官の手付・手代から選任され,俗に八州回りとも呼ばれた。
→関連項目岩鼻大前田英五郎作間稼

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「関東取締出役」の解説

関東取締出役
かんとうとりしまりしゅつやく

八州廻(はっしゅうまわり)とも。江戸幕府の職名。江戸中期以降の関東農村の動揺による治安悪化への対応として,農村支配を強化するため1805年(文化2)創設。関東代官の手付・手代から8人が選任され,勘定奉行の支配のもとに関東の幕領・私領の違いをこえて警察活動や農間余業調査などを行った。27年(文政10)取締りの効果をあげるために,関東一円で40~50カ村を単位に取締組合(御改革組合)を結成。60年(万延元)には横浜警備のために保土ケ谷宿に出役が常駐,江戸四宿にも定詰がおかれ,64年(元治元)には総員20人に及んだ。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「関東取締出役」の解説

関東取締出役
かんとうとりしまりしゅつやく

江戸幕府の職名
1805年新設され,上野 (こうずけ) ・下野 (しもつけ) ・下総・武蔵を中心に関東農村の犯罪を取り締まった。関東には小領地が分立しているのを利し,利根川筋などに犯罪が頻発したのに対し,広域の警察権をもたせたもの。関東の代官の部下から選び,2人1組で4組が巡回。勘定奉行に属し,「八州廻り」とも呼ばれた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「関東取締出役」の意味・わかりやすい解説

関東取締出役
かんとうとりしまりでやく

「八州廻り」ともいう。江戸幕府の職名。文化2 (1805) 年設置。関東地方の無宿者,博徒などの横行を取締り,治安維持の強化を目的とした。幕領,私領の別なく村を回り警察権を行使。代官の手代,手付から8人 (のち 10人) 選任し,その権力は強大であった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の関東取締出役の言及

【作間稼】より

…関東での初見は1766年(明和3)相模国足柄上郡金井島村の商人書上帳(《神奈川県史》資料編5)で,この時期以降,農間余業調査が繰り返し行われた。1805年(文化2)関東一円の治安強化をねらって設置された関東取締出役のもとでは,無宿,悪党の追捕とともに農間余業渡世人,在郷商人の掌握を重視し,農間余業調査を実施し,新規の余業渡世人の増加を規制して村落秩序の動揺を防止しようとした。とくに文政改革以後,代官の手付・手代が関東取締出役として組合村を回村し,農間余業調査を再三実施した。…

※「関東取締出役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android