北村サヨ(読み)きたむらさよ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北村サヨ」の意味・わかりやすい解説

北村サヨ
きたむらさよ
(1900―1967)

天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)(踊る宗教)の教祖山口県玖珂(くが)郡日積(ひづみ)村(現、柳井(やない)市日積)に生まれ、21歳で同県熊毛(くまげ)郡田布施(たぶせ)町の北村清之進(せいのしん)に嫁ぐ。男勝りの陽気で世話好きな女性で、姑(しゅうとめ)の課す重労働にもよく耐えた。浄土真宗の篤信者だったが、1942年(昭和17)自宅の火事をきっかけに祈祷師(きとうし)平井憲龍(ひらいけんりゅう)と知り合い、水行(すいぎょう)や神社への日参を始めた。2年後、腹中に神が宿るという神がかりを体験してカリスマ的資質を身につけ、1945年(昭和20)に彼女を中心とする教団が形成された。「蛆(うじ)の乞食(こじき)よ目をさませ」という説法と「無我の舞(まい)」とで、「踊る神様」として有名になる。以後、国内や世界20か国以上を布教に巡り、信者を育てた。

[藤井健志 2018年6月19日]

『森秀人著『蛆の乞食よ目をさませ』(1975・大和出版販売)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「北村サヨ」の意味・わかりやすい解説

北村サヨ (きたむらさよ)
生没年:1900-67(明治33-昭和42)

俗に〈踊る宗教〉として知られる天照皇大神宮教の教祖。サヨは山口県熊毛郡田布施町の農家主婦であったが,失火を苦にし,それがもとで稲荷行者の信仰に深く帰依するようになった。1944年軍隊に召集された息子の身を案じ,突然神がかりし辻説法を開始。サヨは〈蛆(うじ)の乞食よ目をさませ,神のみ国は今できる〉といって,既成権力を否定し,新しい神の手による国家建設を叫び,民衆共感を得た。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北村サヨ」の解説

北村サヨ きたむら-サヨ

1900-1967 昭和時代宗教家
明治33年1月1日生まれ。山口県の農家の主婦。稲荷行者の教えに帰依(きえ)して神がかりを体験し,昭和20年辻説法を開始。22年宗教法人天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)教を設立。既成の権威を全否定する教えを説き,無我の舞をまい,「踊る宗教」として注目された。昭和42年12月28日死去。67歳。
格言など】蛆(うじ)の乞食よ目をさませ,神の御国は今できる

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android