ヨーロッパにおいて,中世いらい農民に賦課されていた貢租。5世紀以降,キリスト教会は,旧約聖書(《レビ記》27:30など)にもとづき,貧者・病人の救済,教会運営と聖職者の生計維持のために,信徒から収入の10分の1を貢献するよう求めたが,8世紀後半いらい,これが全キリスト教徒に強制的に課せられる租税となる。9世紀以降,その徴収権はしばしば世俗の領主の手に渡った。穀物,ブドウ酒,野菜,果実などの土地からの収穫物のほか,家畜や畜産物にも課され,その額は,多くの場合収穫の10%程度であった。徴収方法は,はじめは現物納であったが,13世紀ごろから現金納も行われるようになった。16世紀はじめのドイツ農民戦争では,農民によって,賦役,地代の軽減とともに十分の一税の廃止が要求されたが,実現はされず,フランス革命や19世紀の農民解放などによって廃止されるまで存続することになった。
執筆者:三浦 徹
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西欧封建社会で広く教会によって実施された収益一定分の課税。初めはキリスト教徒の自発的慣行であったが、4世紀ごろから義務的になっていった。その後、カール大帝は勅令によって、カール・マルテルと彼自身が公収した教会財産の補償として、十分の一税を教会法から市民法上の規則とした。課税対象は、穀物、干し草、野菜などの土地生産物のほかに、家畜、卵、牛乳、バター、麦粉、ぶどう酒、蜂蜜(はちみつ)、それに労賃などあらゆる収益に及んだ。徴税権者は司教や修道院長で、小教区の主任司祭が徴収責任者となり、その収益の一部は聖職者の年収にあてられた。文字どおり10分の1の税率であったわけではなく、フランスでは、収入の14分の1か15分の1の割合にしか達しなかった。それでも18世紀には民衆の間で不評判となり、しばしば苦情や係争の種となり、フランス革命の勃発(ぼっぱつ)とともに廃止されるに至った。
[井上泰男]
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封建社会において,元来は各教区の司祭が教会の維持と貧民救済のために,教区民より収穫物の10分の1を徴収した貢祖。しかし俗人の手に帰すこともあった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…教区の中心,すなわち集落の中央に,墓地を含む教会用地があり,礼拝の行われる教区教会堂parish churchと牧師館rectoryとが建てられている。本来中世において,会堂内の祭壇の置かれた内陣の維持管理費,教区司祭の給与,貧民への施しのために十分の一税が課せられ,やがて近世にはいると,会堂の会衆席のある身廊の維持管理費,礼拝に必要な物資の調達,教会役員の給与のために,教区民に教区税が課せられた。教会役員は,教会委員,教区書記,墓掘り男であった。…
※「十分の一税」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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