十月詔書(読み)じゅうがつしょうしょ

百科事典マイペディア 「十月詔書」の意味・わかりやすい解説

十月詔書【じゅうがつしょうしょ】

1905年の第一次ロシア革命の際,10月ゼネストに動揺した皇帝ニコライ2世が発した詔書。〈十月宣言〉とも。ウィッテ起草による。人格不可侵思想言論集会結社自由,および議会ドゥーマ)の開設などを言明した。自由主義的ブルジョアジーはこの宣言を歓迎した。しかし労働者,農民はこれを不満とし,武装蜂起(ほうき)を行ったが鎮圧され,1906年以後ストルイピンの反動政治が始まった。
→関連項目オクチャブリスト

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「十月詔書」の解説

十月詔書(じゅうがつしょうしょ)

1905年革命の際,10月ゼネストに動揺したツァーリが10月30日(ロシア暦17日)公布した詔書。ヴィッテが起草した。内容は,人格の不可侵,思想・言論・集会・結社の自由を認め,政治犯大赦を約束し,立法権あるドゥーマを開設し,この選挙住民のすべての層を参加させるというものである。市民ブルジョワジーはこれに熱狂したが,労働者,農民,急進派は満足しなかった。

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世界大百科事典(旧版)内の十月詔書の言及

【ロシア革命】より

…10月7日,モスクワ~カザン鉄道の労働者がストライキに入ったのに発した全国鉄道ゼネストは,一般労働者,市民のゼネストを導いた。その中で,ウィッテはニコライ2世に譲歩を迫り,ついに10月17日(新暦10月30日),市民的自由と立法議会の開設を約束する〈十月詔書〉が出された。2日後,事実上の首相職である大臣会議議長職を新設する勅令が出され,ウィッテが初代の首相に任じられた。…

※「十月詔書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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