日本歴史地名大系 「南蛮寺跡」の解説
南蛮寺跡
なんばんじあと
南蛮寺とは、日本に建立されたキリシタン聖堂をいい、一六世紀後半、京都には数ヵ所建立された。位置には諸説あるが、当項目は四条
〈京都・山城寺院神社大事典〉
〔創建と信者の協力〕
永禄―元亀(一五五八―七三)の頃、当地辺りに荒廃した礼拝堂があった。フロイスの「日本史」によれば、四本の支柱上に建つが、その三本は折れかかっていたという。天正三年(一五七五)オルガンティーノ、フロイスらは、有力な信徒たちを招集し、新聖堂を建立することを図ったが、古寺からの材木・資材購入の値段について難色を示した(「耶蘇会士日本通信」一五七七年九月一九日)。次いで二度目の会議を開き、再興を決意、近郊の信徒たちの援助を確認。豊後にいた宣教師フランシスコ・カブラルは、財源の中から六〇〇タエル(約一三二両)を寄付、同年夏工事が開始された。
南蛮寺跡
なんばんじあと
上津浦種直が建立したと伝えられるキリシタン寺院跡。その位置については
南蛮寺跡
なんばんでらあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報