天皇の勅令によって任用される官吏。1869年(明治2)7月太政官達で勅授官,奏授官,判授官に区分し,のちに勅任官,奏任官,判任官と改称した。86年高等官官等俸給令制定により,高等官は勅任官(次官,局長級)と奏任官(課長級以下)に分けられ,勅任官の中に親任官(内閣総理大臣,国務大臣,枢密院正副議長,枢密顧問官,内大臣,宮内大臣,特命全権大使,陸海軍大将,大審院長,検事総長,会計検査院長など)が設けられた。93年文官任用令の制定によって,奏任官,判任官は文官高等試験(高文)の合格者から任用されるようになったが,勅任官には適用されず,自由任用とされた。1910年制定の高等官官等俸給令により,高等官は9等分され,親任官,一等官,二等官が勅任官とされた(狭義には親任官を除外する)。奏任官は三等官以下を指し,高文の合格者を任用資格として,その任免は長官の奏によってなされた。判任官は高等官の下に位し,一等から四等に分けられ,その任免は一定の有資格者の中から長官の判断をもってなされた。第2次大戦後,46年それぞれ1級官,2級官,3級官と改称されたが,49年1月人事院規則により廃止された。
→官吏
執筆者:御厨 貴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治時代から第二次世界大戦敗戦までの官吏の身分上の等級。1869年(明治2)官吏の身分は勅任官、奏任官、判任官に区分された。勅任官は天皇の勅命によって任用される官吏で、広義には親任官および高等官(勅任官、奏任官の総称)一、二等をいい、狭義には親任官を除外する。初め勅任官は自由任用制をとったが、第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣は、官僚に政党勢力が浸透するのを防ぐため、99年、文官任用令を改めて勅任文官たる者の資格を制限し、藩閥勢力が政党に対抗する一拠点とした。敗戦後、1946年(昭和21)一級官と改称されたが、49年人事院規則の公布によって廃止された。
[時野谷勝]
『内閣官房『内閣制度九十年資料集』(1976)』
大日本帝国憲法下の高級官吏。大臣・大使などの親任官を含む場合もあるが,ふつう天皇の勅令によって任用される高等官で一・二等官。各省庁の次官・局長級などがこれにあたる。1886年(明治19)の高等官官等俸給令で定められ,翌年の文官試験試補及見習規則,93年の文官任用令で試験任用から除外され,自由任用制が存続した。そのため政党人の自由任用が横行し,99年の文官任用令改正により特定の官以外は奏任官から登用する資格制限が設けられた。1946年(昭和21)廃止。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1885年内閣制度の創設に伴って,翌年の高等官官等俸給令及び判任官官等俸給令の制定により,官吏は高等官と判任官とに大別され,高等官は勅任官と奏任官とに分けられ,勅任官の中に親任官が設けられた。さらに92年制定の高等官官等俸給令により,親任官以外の高等官が9等分され,親任官・一等官・二等官が勅任官,三等官から九等官までが奏任官と定められた。…
…この身分的関係は官僚制度内部にも反映し,そこで職務上の命令と服従の体系からくる官吏の上下関係が,忠誠と名誉の体系としての身分制的上下関係と重なりあっていた。すなわち国の機関に勤務する職員は,公法上の義務を負う官吏と,私法上の雇用関係に立つ非官吏(雇員,傭人等)に大別されていたが,官吏制度の内部にも,天皇による任命形式によって親任官(天皇が親書によって叙任する官吏),勅任官(天皇の勅令によって任用する官吏で広義では親任官を含むが,狭義では親任官を含まない),奏任官(長官の奏薦により勅裁を経て任用される官吏),判任官(有資格者の中から各省大臣,府県知事等の長官の権限で任用される官吏)と区別され,さらに勅任官は高等官1等から2等,奏任官は高等官3等から9等,判任官は1等から4等に分かれていた。文官と技官との間にも区別があり,宮中礼遇や叙位,叙勲を通じて身分的関係は強化されていた。…
※「勅任官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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