原坦山(読み)ハラタンザン

デジタル大辞泉 「原坦山」の意味・読み・例文・類語

はら‐たんざん【原坦山】

[1819~1892]幕末明治期の禅僧仏教学者。陸奥むつの人。幼名良作いみなは覚仙。号、鶴巣昌平黌しょうへいこうに学び、また医学も修めた。東大印度哲学科の最初講師。のち曹洞宗大学林総監

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精選版 日本国語大辞典 「原坦山」の意味・読み・例文・類語

はら‐たんざん【原坦山】

磐城(福島県)の人。幼名は良作、諱は覚仙、号は鶴巣。漢学儒学・医学を学び、のち出家して禅を修行。明治五年(一八七二教導職に任ぜられたが、出版法違反の責を負わされて解任され、僧籍を失う。同一二年東京大学印度哲学科講師となり、翌年僧籍に復帰して最乗寺に住し、同二四年曹洞宗大学林総監となる。文政二~明治二五年(一八一九‐九二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「原坦山」の意味・わかりやすい解説

原坦山
はらたんざん
(1819―1892)

幕末、明治期の曹洞(そうとう)宗の僧。幼名は良作。覚仙(かくせん)、鶴巣(かくそう)と号する。陸奥(むつ)国(福島県)磐城平(いわきたいら)(いわき市)の藩士新井勇輔(あらいゆうすけ)の長男として生まれる。1833年(天保4)15歳で昌平黌(しょうへいこう)に学び、1840年多紀安叔(たきあんしゅく)(元堅(げんけん))の塾に入って医術を修める。20歳のとき浅草総泉寺の栄禅(えいぜん)について出家。1872年(明治5)教部省から教導職少教正(しょうきょうせい)に任ぜられる。1879年東京大学印度(インド)哲学科の初代講師となり、『大乗起信論』の講義を担当する。1885年学士院会員に選ばれ、1891年曹洞宗大学林(現、駒沢(こまざわ)大学)総監、1892年には同宗管長(かんちょう)事務取扱として宗務をつかさどる。著書には、西洋医学の知識による『心識論』などがある。また『心性実験録(しんしょうじっけんろく)』をめぐっては福田行誡(ふくだぎょうかい)との間で論争が行われている。

[池田英俊 2017年9月19日]

『釈悟庵編『坦山和尚全集』全1巻(1909・光融館/複製『原坦山和尚全集』・1988・名著普及会)』『常光浩然著『明治の仏教者 上』(1968・春秋社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「原坦山」の意味・わかりやすい解説

原坦山 (はらたんざん)
生没年:1819-92(文政2-明治25)

幕末・明治期の曹洞宗の僧,仏教学者。磐城平藩士新井勇輔の長子で幼名は良作。号を覚仙,別に鶴巣とも称した。15歳で昌平黌に入って儒学を学び,また医術を修めたが,20歳のとき出家して大中京璨(だいちゆうきようさん)の法を継いだ。さらに西洋医学の研究を行い,1856年(安政3)には京都心性寺に住したが間もなく退き,72年(明治5)教導職に任命された。2年後に出版法違反の責任を負わされて同職を免職され,また僧職も剝奪されたが,80年に復籍している。1879年東京大学にインド哲学が開講されると初代講師となって〈大乗起信論〉を講義し,85年学士院会員となった。このとき〈印度哲学の実験〉と題する講演をしている。その後,曹洞宗大学林総監,同宗事務取扱となった。《惑病同源論》など多くの著書を残し,《坦山和尚全書》に収められている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原坦山」の解説

原坦山 はら-たんざん

1819-1892 江戸後期-明治時代の僧,仏教学者。
文政2年10月18日生まれ。曹洞(そうとう)宗。江戸の昌平黌(しょうへいこう)で儒学をおさめ,多紀元堅の塾で医学をまなぶ。26歳で出家。明治12年東京大学で初の仏教講義をおこなう。のち曹洞宗大学林(現駒沢大)総監。明治25年7月27日死去。74歳。陸奥(むつ)磐城平(いわきたいら)(福島県)出身。本姓は新井。名は覚仙。号は鶴巣。

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旺文社日本史事典 三訂版 「原坦山」の解説

原坦山
はらたんざん

1819〜92
幕末・明治期の曹洞宗の僧。仏教学者
平藩出身。昌平坂学問所で儒学を修め,また医学を研究。出家して仏教の科学的・体系的解明を志し,その先駆者となった。1879年東大インド哲学科の最初の講師となり,のち曹洞宗管長代理,曹洞宗大学林(現駒沢大学)総監などを歴任した。

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