原子力基本法(昭和30年法律第186号)第7条に基づいて設置され、政府の監督の下に原子力の基礎・応用に関する研究開発を行うことを任務とした特殊法人。現在の日本原子力研究開発機構の前身。正式名称を日本原子力研究所といい、原研とも略称される。1956年(昭和31)6月15日、財団法人原子力研究所の業務(アメリカから提供される濃縮ウランを用いた研究用原子炉の設置その他を行うこと)を引き継いで発足した。初代理事長は安川第五郎。
本部を千葉県柏(かしわ)市に置き、東海(茨城県)、那珂(なか)(茨城県)、高崎(群馬県)、大洗(おおあらい)(茨城県)および関西(京都府)の5研究所が設置され、そのほかに、むつ事業所と原子力船「むつ」を青森県に置いた。
研究活動は、安全性研究、高温工学試験研究、核融合研究、放射線利用研究、大型放射光施設計画など多岐にわたったが、そのほかに先端的基礎研究および基盤技術開発が重点的に取り上げられていた。この過程で、燃料サイクル安全工学研究施設(NUCEF)が東海研究所に、高温工学試験研究炉(HTTR)が大洗研究所に建設された。また世界最大のX線発生装置である大型放射光施設SPring-8(スプリングエイト)が理化学研究所と共同で兵庫県の播磨(はりま)科学公園都市内に建設(1997年完成)された。そのほかに原子力船「むつ」の船体を3分割し、原子炉室を含む部分を一括撤去して陸上に移送し、他の船体部分を合体させて海洋観測船に改造する作業や、高レベル放射性廃棄物の処分を容易にする目的で、長寿命の超ウラン元素などの群分離・消滅処理技術の研究開発なども進めた。さらに国の委託を受けて、原子炉解体技術開発、レーザー法ウラン濃縮技術開発、再処理施設臨界安全性実証試験、再処理施設解体技術開発その他の試験研究等が行われていた。
研究所の創立初期に重視された研究用原子炉施設や動力試験炉(JPDR)などは、老朽化等の理由で世代交替の時期を迎えつつあり、日本最初の原子炉であるJRR-1は廃炉、JRR-2は解体、JRR-3は大改造となり、JPDRも原子炉解体技術の研究材料として解体された。
また、労働組合は、原子力平和利用三原則の厳守を旗印に労働条件の向上とあわせて、核兵器禁止運動への積極的参加など活発な社会的発言を行った。2005年(平成17)10月、日本原子力研究所は核燃料サイクル開発機構と統合し、独立行政法人日本原子力研究開発機構となった。
[中島篤之助]
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