コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安川第五郎 やすかわ だいごろう

3件 の用語解説(安川第五郎の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安川第五郎 やすかわ-だいごろう

1886-1976 大正-昭和時代の実業家。
明治19年6月2日生まれ。安川敬一郎の5男。松本健次郎,安川清三郎の弟。大正4年父の出資で安川電機製作所を創立,昭和11年社長となる。戦後は石炭庁長官,日本原子力研究所初代理事長,東京オリンピック組織委員会会長をつとめた。昭和51年6月25日死去。90歳。福岡県出身。東京帝大卒。
【格言など】チエは必要だが,そのチエを支える精神をつちかうものとして,本を読む必要があると私は考える

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

やすかわだいごろう【安川第五郎】

1886‐1976(明治19‐昭和51)
安川電機の創業者。筑豊炭田開発の先駆者である安川敬一郎の五男。福岡県遠賀郡芦屋町生れ。1912年東京帝大工学部電気工学科を卒業後アメリカに渡り,ウェスティングハウス社に見習として約5ヵ月勤務した。15年帰国後,合資会社安川電機製作所を創立,その代表社員となり,以来同社が今日の(株)安川電機製作所に発展するまで,社長・会長としてその経営を指導した。その後人間性と指導力により活動分野を業界全体,財界全体へとしだいに拡大させ,第2次大戦中には,いわゆる経済新体制のもとで電気機械統制会会長に就任し,戦後は石炭庁長官,日本銀行政策委員,原子力研究所理事長,日本原子力発電社長等の要職を歴任した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安川第五郎
やすかわだいごろう
(1886―1976)

大正から昭和期の実業家。1886年(明治19)6月2日、敬一郎の五男として福岡県遠賀(おんが)郡芦屋(あしや)(現芦屋町)に生まれる。少年時代より電気技術に興味を覚え、東京帝国大学電気工学科に進む。卒業後、日立製作所やウェスティングハウス社で実習を重ね、父敬一郎の出資により1915年(大正4)合資会社安川電機製作所を創立、ついで1919年株式会社安川電機製作所(現安川電機)を設立して前者を吸収した。経営は不振を続けたが、安川家の強力な庇護(ひご)の下にしだいに向上、1936年(昭和11)社長に就任した。第二次世界大戦後、石炭庁長官を務めたが公職追放。その後、九州電力会長、日本原子力発電社長、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)理事長などを歴任。また、東京オリンピック組織委員会会長、札幌冬季オリンピック組織委員会最高顧問としてスポーツ界にも貢献した。著書も多数ある。1976年6月25日没。[畠山秀樹]
『安川第五郎伝刊行会編・刊『安川第五郎伝』2巻(1977)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

安川第五郎の関連キーワード有本芳水八木秀次稲田勤栗原荒野笹森順造七条七之助清水藤太郎関屋竜吉孫田秀春徳川義親

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

安川第五郎の関連情報