動力源として原子炉を搭載した船舶。すなわち,原子力船は動力発生の面でみると,在来のボイラー-タービン船のボイラーを原子炉,蒸気発生器の組合せである原子力蒸気供給系nuclear steam supply system(NSSS)で置き換えたものである。
核燃料は化石燃料に比べてけた違いにエネルギー密度が高く,したがってごく少量の燃料で大出力・長期間運転ができること,そして酸素を必要としないことなどが大きな特徴であるが,反面,原子炉には放射線遮蔽を必要とするほか,安全上の諸対策を講じておかねばならないなどの問題がある。原子力船はこうした点を反映して,在来船に対して以下に示すような長所を有する。(1)燃料積載量が少なくてすむ。海運界は高速輸送の道を歩んでいるが,一般に燃料消費量は速度の3乗に比例するため,在来船で高速化すれば燃料積込量がふえ,その速度は限界に近づいている。(2)燃料の補給なしで長期間の航行が可能である。このため稼働率が向上し,また船隊編成がスムーズとなる。(3)長期間の潜航が可能となる。その結果,海上航行の場合に付随する造波抵抗を避けることの可能な潜水船を実現することができる。(4)技術力,資本,労働力をより必要とする原子力船は造船産業の発展にとり有益である。(5)エネルギー源を多様化してセキュリティを増すことができる。一方,短所としては以下の点があげられる。(1)原子炉遮蔽の容積,重量は相当に大きくなる。このため原子力船は小型船では不利となる。(2)核燃料の費用は安くても原子炉の建設費や安全管理等の経費が多額にのぼる。また安全上,他の動力源が必要である。(3)原子力船では定期検査や燃料交換等にかなりの日数を要する。(4)原子力船の入港は場所により制限され,また複雑な許可手続きが要求される。商船では以上のような長所,短所を総合して経済的に在来船よりも有利になるかどうかが重要な点であり,今日まで必ずしも十分な経済性の見通しが立っていないことから,原子力商船は世界的に実用化の域に達していない。これに対して,軍事利用の面では,燃料の長期にわたる補給を必要とせず,また長期潜水に耐える点が他に代えがたいため,原子力空母や原子力潜水艦として導入され,実戦配備されている。
アメリカにおいては1954年に原子力潜水艦ノーチラス号が進水した。この技術を基礎として,56年には原子力平和利用の一つとして貨客船のサバンナ号の建造が決まり,62年に完成した。アメリカではほかに,原子力コンテナー船や原子力タンカーの建造を目標として,研究開発が行われてきている。一方,ソ連では砕氷船としての原子力船利用に早くから着目し,アメリカに先がけて59年に原子力砕氷船レーニン号を完成させた。その後も一貫してアルクチカ号,シビリ号,ロシア号などの原子力砕氷船を建造してきている。また,原子力貨物船も検討中と伝えられる。西ドイツでは,鉱石運搬用として68年,原子力船オットー・ハーン号が完成した。同国では大型の原子力コンテナー船の研究開発も行われている。日本では,1955年ころから原子力船に関する調査,研究が始まり,61年原子力開発利用長期計画において70年を目途に原子力第1船を建造することを決定,63年には日本原子力船開発事業団が発足した。こうして69年,特殊貨物船である原子力船〈むつ〉が進水した。この事業団は85年から日本原子力研究所に併合し,原子力第2船の検討を含めた事業を継続する。イギリス,フランス,ノルウェー,オランダ,イタリア,カナダなどの諸国でも原子力船の研究開発あるいは計画検討などが実施されているが,建造には至っていない。
これまでに建造・就航した非軍事用の原子力船は,概して良好な運転実績をあげ,技術的実証ならびに運航管理等のデモンストレーションの目的を果たしたものと評価されている。しかし,原子力船自体の経済性がまだ不十分であり,しかも近い将来に原子力船に期待すべき貨客輸送需要の形態や量の見通しが明確でないため,ソ連の砕氷船などを除いて,まだ実用化されていない。
原子力船用の原子炉は,容積と重量の面での船側の負担を減らすため,小型高性能のものが望ましく,また船体動揺時にも安定に運転できることが必要である。加圧水型炉はこれらの条件に適しており,現存の原子力船ではすべて加圧水型炉が使用されている。プラント型式としては原子炉と蒸気発生器を一つの容器内に組み込んだ一体型(西ドイツ)と,そうでない分離型とに大別される。船の推進軸駆動の方式には,蒸気タービン駆動と電気駆動の二つがある。後者は蒸気タービンで発電機を動かし,そこで得られる電力で電動機を回転させる。〈むつ〉などは蒸気タービン駆動であるが,砕氷船のように繰り返し前後進を行うものでは制御の便を考えて電気駆動方式が採用されている。原子力船はかりに衝突,座礁,あるいは沈没などの事故が起きたとしても,放射性物質の漏れ出す原子力事故とならないよう,設計には安全上の十分な対策が講じられている。
〈われ原子力にて航行中〉。1955年1月17日,造船所を離れ大西洋に向かうアメリカ原子力潜水艦ノーチラス号発信のこの電文により,原子力時代の幕は切って落とされた。通常型潜水艦は水上ではディーゼルエンジンで航行するが,水中では蓄電池を電源とし電動機を駆動するので,高速力で航行すれば1時間程度で電池を消耗してしまい,電池充電のためしばしば浮上しなければならない。第2次大戦末期にレーダーが出現すると潜水艦はしだいにその隠密性を失い無力化された。対策としてスノーケル装置(潜航中に水上に管を出して空気を取り入れる装置)等が装備されたが,しょせん全没可能な真の潜水艦ではなかった。1946年原子力船の父といわれるアメリカのH.G.リコーバー海軍大佐(当時)は,真の潜水艦は,(1)燃料燃焼に空気が不要,(2)1回の燃料充塡により何年間も高速航行が可能,(3)石炭・石油のように大量の燃料庫が不要な原子力潜水艦以外にないことを建言,50年トルーマン大統領の承認を得た。かくして53年世界初の加圧水型軽水炉を臨界に達せしめ,54年9月世界で初めての原子力船ノーチラス号を完成させた。その後,ノーチラス号は57年の第1回燃料交換まで6.3万カイリを航行し,58年には北極点を潜航したまま通過するなど,原子力船のメリットを次々に実証した。アメリカ海軍は59年潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)積載原子力潜水艦(SSBN)ジョージ・ワシントンを就役させ,これに続きソ連も数年おくれで同種の原子力潜水艦を就役させた。SSBNは陸上のミサイル発射基地と比べ空中査察等では発見が難しく,敵の攻撃によって破壊されにくい(抗堪(こうたん)性,残存性が高い)ため,戦略上重要な地位を占めることとなった。
またアメリカ海軍は巨大空母を中心とする機動部隊を保有しているが,これを原子力艦で編成することにより,給油の必要がないのでその機動性が著しく高められることになった。アメリカ海軍は1961年原子力空母エンタープライズ,原子力巡洋艦ロングビーチを就役させ,82年までに原子力空母4隻,原子力巡洋艦9隻を確保し優勢な原子力機動部隊2個隊を整備した。ソ連海軍は81年原子力巡洋艦キーロフを就役させた。
執筆者:坂元 直家
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
原子炉で発生する熱を利用して駆動用タービンを動かし推進する船舶。原子炉で発生する蒸気でタービンを動かす点では発電用原子炉と同じであるが、船舶に搭載するため遮蔽(しゃへい)体の少ないコンパクトな炉を必要とする。原子力船は核燃料を使うので、長期間にわたり燃料補給をせずに運行できる。開発の歴史は原子力発電より古く、軍事利用が先行した。1954年に原子力潜水艦ノーチラス号がアメリカで建造されたが、現在でも軍用の艦船が圧倒的に多く、平和利用の船舶はほとんどない。
[青柳長紀]
原子力船に搭載する原子炉を舶用(原子)炉というが、開発の歴史は古く、アメリカで1953年に潜水艦用原型炉(STW)が、まず陸上でアイダホの国立原子炉試験場に建設された。炉型は、減速材と冷却材に軽水を用い、高い圧力を加えて冷却材を循環させる加圧水型軽水炉(PWR)で、のちにアメリカで大型化され、発電用原子炉の原型となった。舶用炉は炉心を小さくするため、高濃縮または発電用より濃縮度の高いウランをステンレスかジルカロイで被覆した酸化物燃料を使う。構造上の種類としては、発電用と同じように圧力容器外に蒸気発生器をもつ分離型と、遮蔽体が小さくてすむように改良された圧力容器内に蒸気発生器をもつ一体型、およびその中間的構造をもつ半一体型の炉がある。
[青柳長紀]
原子力船は、世界各国で建造されたが、最近では、平和利用としてはロシアの原子力船だけが就航中である。
(1)レーニン号とロシアの原子力船 レーニン号は、旧ソ連が砕氷船として1956年に起工、1959年に完成した世界最初の原子力船である。30年間、約65万海里の航行ののち1989年に退役した。ロシアの原子力砕氷船は、現在アルクチカ号など7隻が就航中であるが、その他砕氷能力をもった原子力貨物船セブモルプーチ号も就航している。1994年から砕氷船ウラル号が建造中であるが資金難のため完成が遅れている。
(2)サバンナ号 アメリカでは軍用の艦船の建造は古いが、平和利用の船としては1962年に貨客船サバンナ号が完成した。この船は8年間に約45万海里、27か国の78の港を訪問した。その後、目的を達成したとして、炉心から燃料を取り出し、チャールストン港に係船された。
(3)オットハーン号 実験船として1963年に起工、1968年に完成した旧西ドイツの原子力船。一体型原子炉を搭載したのが特徴で、実験航海後は鉱石運搬船として第一次燃料で約25万海里を航行した。1972年に第二次の改良炉心を装荷したのちも順調に運行し、完成後約60万海里の航行ののち、1979年、運行経費の上昇のため運行を停止、燃料を抜き取り、ハンブルク港に係留された。
[青柳長紀]
原子力船「むつ」は、日本原子力船研究開発事業団により、当初海洋観測船として計画されたが、建造会社がないため、船体と原子炉を別会社が受け持ち特殊貨物船として建造された。船体は1968年に起工、1969年進水、定係港の青森県むつ市大湊(おおみなと)港に回航、そこで原子炉関連施設を搭載して1972年に完成した。1974年8月、外洋の尻屋崎(しりやざき)東方800キロメートルの公海上で出力上昇試験中放射線漏れをおこしたため、長崎県の佐世保(させぼ)港で遮蔽体などの改修工事を行った。放射線漏洩(ろうえい)の原因は、原子炉圧力容器と一次遮蔽体との間を放射線が漏れるストリーミングによりおこったもので、遮蔽体の追加工事をした。計画から大幅に遅れて、1990年(平成2)に定係港をむつ市関根浜港に移し、事業団を統合した日本原子力研究所が、用途を実験船にかえて出力上昇試験と海上試運転を実施し、合計56日間、約1万2900海里を航行した。その後、1991年に1次から4次の実験航海で110日、約3万4700海里を航行し、1992年に解役された。
当初「むつ」の建造を1971年末までに完了するという事業団の計画が、20年近く遅れた原因は、技術的に経験のない舶用炉を国産で建造したことにもよるが、それ以上に、船体と原子炉が別会社で独立につくられるなど総合的な責任体制がとられない政府や事業団の開発体制の欠陥のためである。1974年の放射線漏れ事故を機会に、原子炉の安全審査体制と原子力開発体制の欠陥が問題となり、原子力安全委員会(2012年より原子力規制委員会)ができた。
「むつ」の船体は、解役後大型海洋観測船へ改造され、船体から撤去した原子炉施設は、日本原子力研究開発機構(2005年10月日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構が統合して発足)むつ事業所が廃止措置を行っている。
[青柳長紀]
『安藤良夫著『原子力船むつ――「むつ」の技術と歴史』(1996・ERC出版)』
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(渥美好司 朝日新聞記者 / 2008年)
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