広島市中心部の元安川沿いに1915年「広島県物産陳列館」としてチェコ人建築家による設計で完成し、後に「広島県産業奨励館」と改称。れんが造り3階建てで、中央は5階建てでドーム屋根があった。45年8月6日、ほぼ真上に米軍が原爆を投下。中にいた約30人は即死したとされる。広島市議会が66年に永久保存を要望すると決議し、市は翌年、1回目の保存工事を実施。96年12月7日に世界遺産登録。今年4月、5回目の保存工事を終えた。周辺は平和記念公園として整備されている。
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広島市中区の太田川河畔にある原爆被災を象徴する建物。旧広島県産業奨励館で、1945年(昭和20)8月6日、史上最初の原子爆弾はこの建物の南東50メートルの地点に落とされた。建物は1914年(大正3)に旧チェコスロバキアの建築家ヤン・レツルによって設計され、ドームがエキゾチックで印象的であった。原爆によりドームの鉄骨がむき出しになり、いつともなく原爆ドームとよばれるようになり、被爆都市広島のシンボル化した。その後ドームの風化が進み、市議会は1966年にドームの保存を決議した。当時の市長浜井信三は工事費の全額を募金でまかなうこととし、市長自身も東京で街頭募金を行った。募金目標の4000万円に対し、全国から6600万円余が集まり、保存工事は1967年に完成した。1989年10月2回目の保存工事が開始され、翌年3月終了した。募金は目標額を大きく超える4億円余も集まった。1996年(平成8)には、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産)。
[北川建次]
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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