デジタル大辞泉
「原田孫七郎」の意味・読み・例文・類語
はらだ‐まごしちろう〔‐まごシチラウ〕【原田孫七郎】
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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原田孫七郎 (はらだまごしちろう)
桃山時代の呂宋(ルソン)(フィリピン)貿易商人。生没年不詳。原田ガスパルと称する。呂宋貿易商人原田喜右衛門の甥ともいわれるが,異説があって明確でない。外国人からは〈まったく抜け目のない頭の働く者〉と評される。1591年(天正19)豊臣秀吉の呂宋入貢の国書を携えて渡海。返使の来朝をはかって成功し,秀吉と会見させる。93年(文禄2)にも秀吉の命令で高山国(台湾)に入貢督促のため渡海したが,そのとき高山国は君主を欠いていたため,使命は完遂しえなかった。
執筆者:森山 恒雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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原田孫七郎
はらだまごしちろう
安土桃山時代の貿易商人。長崎の貿易商原田喜右衛門の手代。しばしばルソン (呂宋) に渡り,マニラにも居住,スペイン語に通じ,フィリピンの事情に精通していた。南海諸国の攻略を意図していた豊臣秀吉に南海の経略を建言。文禄1 (1592) 年入貢を促す秀吉の使節としてマニラに渡り,フィリピン側の使節である宣教師 J.コボスを伴って帰国,秀吉に謁見させ,その功により 500石を与えられた。翌年台湾にも親書をたずさえて渡航したが,不成功に終った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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原田孫七郎 はらだ-まごしちろう
?-? 織豊時代の貿易商。
肥後(熊本県)の人。原田喜右衛門の手代で,呂宋(ルソン)(フィリピン)との貿易に従事。天正(てんしょう)20年(1592)豊臣秀吉の使者として喜右衛門のかわりに呂宋にわたり,答礼使を日本に派遣させた。翌年入貢をうながすため台湾にわたるが不成功におわった。別名に原田ガスパル。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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原田孫七郎
はらだまごしちろう
生没年不詳
安土桃山時代の貿易商人。豊臣秀吉の南方経略に活躍した
長崎の貿易商原田喜右衛門の手代。ルソン・高山国(台湾)に往来し,マニラに居住,スペイン語に通じた。秀吉に南海攻略をすすめ,その使者としてマニラ・高山国に入貢を要求する親書を持参した。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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