手代(読み)テダイ

デジタル大辞泉 「手代」の意味・読み・例文・類語

て‐だい【手代】

商家で、番頭と丁稚でっちとの中間に位する使用人
商店で、主人から委任された範囲内で、営業上の代理権をもつ使用人。支配人よりは権限が狭い。
江戸時代郡代代官奉行などに属して雑務を扱った下級役人。

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精選版 日本国語大辞典 「手代」の意味・読み・例文・類語

て‐だい【手代】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 人の代理をすること。また、その人。てがわり。
    1. [初出の実例]「僧正奉仕御修善、手代僧進円不云案内」(出典:御堂関白記‐寛弘六年(1009)九月一一日)
    2. 「於仙洞理覚院尊順僧正五大尊合行法勤修云々。如意寺准后為手代参住云々」(出典:満済准后日記‐正長二年(1429)七月一九日)
  3. 江戸時代、郡代・代官に属し、その指揮をうけ、年貢徴収、普請、警察、裁判など民政一般をつかさどった小吏。同じ郡代・代官の下僚の手付(てつき)職務内容は異ならないが、手付が幕臣であったのに対し、農民から採用された。
    1. [初出の実例]「御代官所の手代などいふものの、私にせし所あるが故なるべし」(出典:随筆・折たく柴の記(1716頃)中)
  4. 江戸幕府の小吏。御蔵奉行、作事奉行、小普請奉行林奉行漆奉行、書替奉行、畳奉行材木石奉行、闕所物奉行、川船改役、大坂破損奉行などに属し、雑役に従ったもの。
    1. [初出の実例]「諸組与力、同心、手代等明き有之節」(出典:御触書寛保集成‐一八・正徳三年(1713)七月)
  5. 江戸時代、諸藩におかれた小吏。
    1. [初出の実例]「其切手・てたいの書付、川井嘉兵へに有」(出典:梅津政景日記‐慶長一七年(1612)七月二三日)
  6. 商家で番頭と丁稚(でっち)との間に位する使用人。奉公して一〇年ぐらいでなった。
    1. [初出の実例]「宇治の茶師の手代(テタイ)めきて、かかる見る目は違はじ」(出典:浮世草子・好色一代男(1682)一)
  7. 商業使用人の一つ。番頭とならんで、営業に関するある種類または特定の事項について代理権を有するもの。支配人と異なり営業全般について代理権は及ばない。現在では、ふつう部長、課長、出張所長などと呼ばれる。〔英和記簿法字類(1878)〕
  8. 江戸時代、劇場の仕切場(しきりば)に詰め、帳元の指揮をうけ会計事務をつかさどったもの。〔劇場新話(1804‐09頃)〕

て‐しろ【手代】

  1. 〘 名詞 〙てがわり(手替)
    1. [初出の実例]「踊り子の母は手代(てしろ)楽屋番」(出典:雑俳・表若葉(1732))

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改訂新版 世界大百科事典 「手代」の意味・わかりやすい解説

手代 (てだい)

(1)江戸幕府の郡代・代官の属僚。江戸初期の手代は〈てがわり〉と呼び,代官クラスをいう。江戸中期以降は農民,町人で地方(じかた)の事務の熟練者を縁故により採用した。その場合,勘定所の許可を得て正式に雇われ,給料は郡代,代官の諸入用で賄われた。書役より昇格したが,待遇には個人差があった。1725年(享保10)以降の給与は20両五人扶持で,役所の事務を総括した元締手代になると30両五人扶持が給された。江戸詰,代官所詰で常駐した。代官とともに任地を移ることが多く,失職中の元手代が再採用されることもあり,元締手代は功績により幕臣に登用されることもあった。ほかに寺社奉行および勘定奉行配下の蔵奉行,油漆(あぶらうるし)奉行,林奉行の属吏も手代と称した。
執筆者:(2)商家奉公人丁稚(でつち)より上位の者をいう。江戸時代の商家の奉公人は10~13歳で丁稚,子供として雇用されたが,丁稚の期間は無給で見習奉公人であった。丁稚は17~18歳で元服して名前も変わり,手代となった。手代昇進の際に主人は祝宴を開いて披露し,木綿の紋服や羽織などを与えた。家によっては,本人の親元および親類連印をなした身元保証状,請状(うけじよう)を提出させ,あるいは丁稚当時のそれを更改させた。

 手代になると一人前の店員として扱われ,衣食のほか給金を与えられるのがふつうであった。最初は丁稚同様雑役に従事するが,漸次番頭の指図により出納,記帳,売買,蔵方,賄方などの任務を担当し,ときには自分の計算で取引を行うことも許された。手代には職務分担の階梯があった。近江商人の外村(とのむら)家では,手代は店方役と表方役に分かれ,前者は店の番をして座売りにあたり,後者は得意先回りなど店外営業にあたった。店方役からはじめ,表方役に回り,また店方役に転ずるのがふつうであった。三井呉服店では,奉公人の制は大取締-取締-加判名代-元方名代-勘定名代-平名代-後見人-支配役-支配人-組頭-役頭-上座-手代-子供など複雑な職階制をとっていた。手代の年齢はだいたい17,18歳から27,28歳くらいまでであったが,営業の種類,本人の能力いかんによって手代の期間は異なり,35,36歳から40歳にいたる例もあった。丁稚10年,手代10年,合わせて20年前後が商家奉公人の期間で,この間に業務一般,販売,接客,仕入れのやり方を学び,商人となるべき訓練を受けた。

 手代以上になると,給金のほか各種の報償金が与えられた。例えば大坂の両替商鴻池(こうのいけ)家では,〈名付銀〉〈催合銀(もやいぎん)〉などが与えられた。名付銀は幼年より奉公した者には22,23歳時に,途中採用のもの(外様奉公人)には奉公して8~9年後に与えられ,それ以降2~3年おきに支給された。1回の支給額は銀500目~1貫目で,これらは本家で積み立てられ,月1歩(1%)の利息が付された。催合銀は毎年200目ずつ支給されるもので,これも本家で積み立てられた(これは無利子)。積み立てられた名付銀・催合銀は,奉公人が独立して自分家業を始めるとき,元手金として手渡された。伊勢商人,近江商人にも同様の制度があった。近江商人や伊勢商人の家では年功序列の一つのあらわれとして,〈登り〉という行事があった。これは入店後の年数に応じて一定期間休暇を与えて帰郷を許すもので,入店後7~8年で与えられる〈初登り〉のほか,数年おきに〈二度登り〉〈三度登り〉があり,それらを通過することが店内の格付け・昇進につながった。〈登り〉の際にはいったん退勤の形となり,再勤は別に決められたから,これは年功序列制だけでなく,業績による雇用制が組み込まれていたといえる。

 一定年限の手代奉公を勤めあげると,住込みをやめ,世帯をもつことが許されて,宿持(やどもち)となることが多い。これが別家(べつけ)制度である。別家となると退職金,元手金,世帯道具などが与えられるが,必ずしも自分の商売をするのではなく,本家への勤務をつづけ,通勤の番頭,支配人となるものも多かった。また自立して〈暖簾下(のれんさげ)(暖簾分け)〉を受けたものも,本家から営業種目や地域の制限を受けたのみならず,三井家のように,別家の相続においても本家の指図を受けるといった制約下におかれることがふつうであった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「手代」の意味・わかりやすい解説

手代
てだい

1

江戸時代に幕府の郡代、代官、奉行などの下で支配事務に従事した下僚。諸藩においても郡奉行(こおりぶぎょう)や代官の属僚として設置される例がある。幕府代官の下では、幕府直轄領支配の実務を行った。代官の赴任先で村役人や商人の子弟などを書役(かきやく)という見習に採用し、検見(けみ)や徴税の実務を覚えると手代に昇任させた。給料は、1725年(享保10)には20両5人扶持で、代官の諸入用から支給された。元来百姓や町人身分であったが、手代在勤中は武家振る舞いができた。寛政期から手代と同じ業務をする幕府御家人身分の手付(てつき)が新設され、手代から手付に昇任する道が開いた。代官陣屋のなかで筆頭の手代を元締手代、次席を加判手代といった。

 幕府の他の役所では、漆(うるし)奉行、林奉行、作事(さくじ)奉行、材木奉行、細工方(さいくかた)、小普請方(こぶしんかた)などの技術系の部門や、二条御蔵、大津御蔵にも配備された。給料はおよそ20~30俵2~3人扶持であった。

[定兼学]

2

近世以降の商家における奉公人で、10歳前後の丁稚(でっち)・子ども・若衆を経て一人前に営業できるようになった者。羽織や酒、煙草も許され、給料が支給される。丁稚と同様住み込みの平手代、所帯を持つ宿持手代がある。出世すると、店舗の運営管理をする番頭や支配人になる。長年勤めて円満退職するものは、暖簾(のれん)分けを受け、独立することができた。

[定兼学]

『安藤博編『徳川幕府県治要略』復刻版(1981・柏書房)』『旧事諮問会編『旧事諮問録 下』(岩波文庫)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「手代」の解説

手代
てだい

1江戸時代の地方(じかた)の役職。郡代・代官の下にあって,年貢徴収のほか一般民政事務にあたった。幕府代官所の手代は,地域に通じ筆算に明るい有力農民が任命され,人員は1代官所に20~30人程度であった。なお,これらの手代とは別に浅草御蔵衆・畳奉行など幕府の諸役人のもとにも属僚としての手代がいる。

2江戸時代,商家奉公人の一種。丁稚(でっち)(子供)から奉公を始め,元服して17~18歳で手代となり,販売・接客・仕入など店表の諸種の職務につき,一人前の店員として扱われる。手代になると給金を支給されるほか,報償金などの手当てもついた。大店の場合,複雑な職階制をもつが,さまざまな職務を経験しながら平手代から役職付に年功序列で昇進する。通常住込みだが,長年勤功を積んだ手代上層のなかには,宿持ちとなり通勤する者もいた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「手代」の意味・わかりやすい解説

手代
てだい

江戸時代の商家奉公人の身分の一つ。丁稚 (でっち) と番頭の中間身分で,丁稚を無事に勤めると 17~18歳で元服を許され手代に昇進した。番頭のもとで経理,売買,商品吟味,得意先回りなどをした。手代になると羽織着用,酒,たばこなどを許された。業務に習熟し一人前として認められるのは 30歳前後だった。 (→丁稚制度 )

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旺文社日本史事典 三訂版 「手代」の解説

手代
てだい

江戸時代の商家の奉公人
番頭と丁稚の間の身分。住込みであるが,給金を支給され,一人前の店員として扱われた。丁稚を数年から十数年勤めあげて27〜28歳でなるのが普通であるが,早い者は17〜18歳,遅い者は30〜40歳でなる例もあった。

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世界大百科事典(旧版)内の手代の言及

【手代】より

…(1)江戸幕府の郡代・代官の属僚。江戸初期の手代は〈てがわり〉と呼び,代官クラスをいう。江戸中期以降は農民,町人で地方(じかた)の事務の熟練者を縁故により採用した。…

【親分・子分】より

…生家を去って主家のコとなるのであるから,家業経営の親方である主家の家長は彼らに新しい名,丁稚としての名を与えた。丁稚名は成人すると手代名に変えられ,暖簾(のれん)分けを受けて奉公人分家(関西で〈別家〉と呼ばれた)となっても手代名やその変形で名のり,通勤別家か自営の店持別家の初代家長となった。彼らの結婚は新夫婦が主家を親方と確定して以後商人社会に位置づけられる機会であったから,配偶者の一方の親を親方とする生みの子の結婚(嫁取婚,聟(婿)取婚)とは区別して,有賀喜左衛門が親方取婚と呼んだムラの場合と同様であった。…

【商業使用人】より

…商法の定める商業使用人の類型には,支配人(37条以下。現在の企業では店長,支店長など多様な名称が用いられている),番頭・手代その他営業に関するある種類または特定の事項の委任をうけた使用人(43条。部長,課長,係長,主任などが原則としてこれにあたる),物品販売店舗の使用人(44条)があり,それぞれ,支配人については営業に関する包括的代理権,番頭・手代等についてはある種類または特定の事項に関する代理権,物品販売店舗の使用人については当該店舗にある物品の販売についての代理権の存在が法律上擬制されている。…

【のれん分け(暖簾分け)】より

…主人は家業に忠誠を尽くした奉公人たちに対し,その功に報いるためにも暖簾を分ける形で一定の顧客層を分け,資本を与えて独立した店をもたせるようにした。 17世紀に成立した多くの豪商の経営は,主人が営業面に直接介入しないで,実権をもつ手代層を中心とする数多い奉公人たちが,強い家族主義的な意識をもとに運用されていた。こうした奉公人によって運用されている経営が維持・発展していくためには,奉公人が家業,主人に対して信頼を寄せ,忠誠を誓うしくみがなくてはならない。…

※「手代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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