デジタル大辞泉
「原田慶吉」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
原田慶吉
はらだけいきち
(1903―1950)
ローマ法学者。東京帝国大学教授。同大学に学び、春木一郎、中田薫(かおる)に師事した。ドイツでは、コシャーカーP. Koschakerのもとで、とくに『学説彙纂(いさん)』の法文が、真にローマの法学隆盛時代のものかどうかの研究に本格的に取り組みつつ、ローマ法学が今日の法律学にいかに寄与すべきかという観点から法典、法原則の成り立ちを、徹底した実証的手法で歴史的に追究した。また、固有のローマ法を明らかにするため、楔形(くさびがた)文字法、パピルス学、アッシリア学を修め、この分野で日本における先駆者として研究の視野を拡大し、日本のローマ法学の水準を高めるため決定的役割を果たした。第二次世界大戦後、日本法制史学会の設立にあたっては、初代の代表理事を務めた。主著に『ローマ法』『楔形文字法の研究』『ローマ法の原理』『日本民法典の史的素描』などがある。
[佐藤篤士]
『『ローマ法』(1949・有斐閣)』▽『『楔形文字法の研究』(1949・弘文堂)』▽『『日本民法典の史的素描』(1954・創文社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
原田 慶吉
ハラダ ケイキチ
昭和期のローマ法学者 東京帝大教授。
- 生年
- 明治36(1903)年7月30日
- 没年
- 昭和25(1950)年9月1日
- 出生地
- 兵庫県神戸市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔大正15年〕卒
- 経歴
- 東京帝大助手となり、ローマ法を専攻。昭和4年助教授、11〜13年ベルリン大学留学、ローマ法、楔形文字法、さらにアッシリア学などを研究。14年教授。ローマ法の世界的権威。著者に「楔形文字法の研究」「ローマ法」「ローマ法の原理」「日本民法典の史的素描」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
原田慶吉 はらだ-けいきち
1903-1950 昭和時代の法学者。
明治36年7月30日生まれ。春木一郎のもとでローマ法を研究。楔形(くさびがた)文字法,パピルス学などもおさめた。昭和14年東京帝大教授。戦後,日本法制史学会の初代代表理事をつとめた。昭和25年9月1日死去。47歳。兵庫県出身。東京帝大卒。著作に「楔形文字法の研究」「ローマ法の原理」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
原田 慶吉 (はらだ けいきち)
生年月日:1903年7月30日
昭和時代の法学者。東京帝国大学教授
1950年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 