イエス・キリスト受難の物語を題材とする宗教劇の一種。おもにイエスのエルサレム入城から裁判、十字架上の死、さらには復活と昇天が描かれる。しかしこれが宗教劇の中心部分でもあるので、宗教劇全体の総称として、あるいはとくにドイツ語圏では聖史劇のかわりにこの語が用いられる。当初はキリストの復活を主題とする復活祭劇の前段として、十字架上の死と埋葬の短い場面を付け加えたことから始まった。やがてこの前史部分が拡大され、ついには本来の復活祭劇をも飲み込んで聖史劇全体を代表するようになった。台本の用語はたいてい上演地の俗語であるため、地方によって違うが、それでも多くの台本の間にはかなりの影響関係が認められ、原典である聖書の普遍性とともに、ヨーロッパ全体にまたがる受難劇の系譜があったことがわかる。受難(パッション)の題のつく劇の初出は1150年ごろのイタリアの「モンテ・カッシーノ受難劇」、現存最古の台本は13世紀ドイツの「ベネディクトボイエルン受難劇」である。
今日でもカトリック地方にその伝統が受け継がれ、アルプス山麓(さんろく)の小村オーバーアマーガウの受難劇が有名である。ペスト流行時に村人が神に祈願したときの誓いを果たすため1634年に行われたのが発端で、10年ごとに5200席の野外劇場で演じられる。1984年には350周年特別公演が行われた。
[尾崎賢治]
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…古来,演劇は宗教,あるいは宗教的・祭儀的なものと密接に結びついており,古代ギリシア演劇はいうまでもなく,インドのサンスクリット古典劇(インド演劇)にせよ,あるいは日本の能にせよ,濃厚に宗教的・祭儀的色彩を帯びるものであったし,この内在的伝統は今日もなお何らかの形で生き続けていると考えることができるだろう。だが演劇史的にみて,そのような〈宗教性〉を帯びた演劇が最も直接的・典型的な形で隆盛となったのは,中世ヨーロッパにおけるさまざまなキリスト教劇(典礼劇,受難劇,聖史劇,神秘劇,奇跡劇など)の場合であり,今日,〈宗教劇〉という語が用いられる場合に,固有名詞的にこれらを総称していうのが普通である。 中世ヨーロッパにおけるキリスト教宗教劇は,概括していえば,イエス・キリストの生誕,受難,復活などのそれぞれの場面や,それら場面の連続,あるいはその生涯の全体,また,使徒や聖者の言行,さらには旧約聖書中の物語,エピソードなどを劇化したものであるが,それはもともと,10世紀初めころに,復活祭典礼の交誦(こうしよう)tropusから発生したといわれている。…
…娯楽的な要素も増え,町の広場にセットを飾った野外劇の形をとるようになった。受難劇とよばれるさまざまな宗教劇の集大成ともいえる大規模なものは,上演が数日におよぶこともあった。14,15世紀に各地で上演された台本や資料が残っている。…
…
[演劇と散文の誕生]
中世末期に入ると演劇と散文が芽生える。14世紀には,ようやく興隆した都市を中心に復活祭劇や受難劇が演ぜられ,15世紀にはそれが世俗的な発展を示して謝肉祭劇Fastnachtsspielとなるが,その担い手となったのはギルドの職人たちで,実生活のなかから笑いのタネを見つけて寸劇にした。ハンス・ザックスらの職匠歌もこれと同じ基盤から生まれる(マイスタージンガー)。…
…宗教劇は,10世紀にキリスト降誕祭と復活祭の典礼にラテン語による対話を加えた教会堂内での典礼劇に始まり,12世紀後半のフランス語のみによる準典礼劇(《アダンの劇》等)を経て,13世紀には北フランスのアラスに代表される新興商工業都市の,町民階級自身の知識人による風俗劇的要素の濃い劇作術を生み(《アラスのクルトア》,J.ボデル《聖ニコラ劇》,リュトブフ《テオフィルの奇跡劇》等),最後に,14世紀以降,16世紀中葉を絶頂とする〈聖史劇(ミステールmystère)〉に結実する。ゴシック時代の都市を挙げての一大祝典劇であるこれら大聖史劇は,受難信仰とともに〈受難劇(パッシヨンpassion)〉として,次いでパリを中心にした聖母信仰の隆盛とともに〈聖母奇跡劇miracle de Notre‐Dame〉として流行し,ともに専門の上演組合をもち,1402年には最初の常設劇場さえできた。その上演は,〈屋台(マンシヨン)〉と呼ぶ演技場(ば)を連ねた野外の並列舞台で行われた。…
※「受難劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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