フロイトの精神分析の性心理的発達の第1段階で、誕生から1歳半くらいまでの時期のことをいう。生物的にまったく無力な状態で生まれる乳児は、母親からの授乳によって生命を維持するが、この授乳による口唇の刺激は満足感を引き起こすものであり、これが幼児性欲をつくりあげる契機となる。このフロイトの性心理的発達説を心理社会的発達説としてとらえ直したエリクソンによれば、母親から十分に世話をしてもらい満足した乳児は他者に対する基本的信頼感や自己の能力について自信をもつようになる。
極度の不満や過剰の愛情を経験した乳児は、性心理的発達が口唇期に固着し、口唇性格がつくられ、外界に対して受動的、依存的になり、人から愛情を与えられることに過度の関心をもち、自己愛的な人格になる。食べ物に対し病的な欲望をもち、対人関係の病理が、拒食症や過食症などの摂食障害として現れることもある。アブラハムは口唇期を前期と後期に分け、後期をとくに口唇加虐期とよんでいる。これは乳児に歯が生えるとともに、口唇活動が攻撃的になることを意味しているからである。
一般に口唇活動は、食べること(愛すること)が必然的に破壊すること(憎むこと)につながるように、両価的(両面感情的)である。また自他が未分化であるため、のみこむことがのみこまれること、攻撃することが攻撃されることをも意味する。
[川幡政道]
『E・H・エリクソン著、仁科弥生訳『幼児期と社会Ⅰ』(1977・みすず書房)』▽『カール・アーブラハム著、下坂幸三・前野光弘・大野美都子訳『アーブラハム論文集――抑うつ・強迫・去勢の精神分析』(1993・岩崎学術出版社)』
S.フロイトのリビドー発達理論における第1段階。口愛期とも言う。乳児が母の乳房をふくみ,乳を吸うという口唇,口腔領域の働きが乳児に主要な快感をもたらす時期で,生後1年半くらいまでがこの時期に相当する。口の吸引活動に伴う快感をフロイトは人間の最初の性的快感と考えたのである。その証拠として,フロイトは,乳児が満腹時でも吸引活動を示すこと,やがて指しゃぶりに没頭すること,成人の性生活においても口唇と口腔が大きな役割を演じることなどを挙げた。この時期は,対象を体の中にとり入れてゆく時期であるために,フロイトは〈食人的〉であるとも形容しており,この体内化incorporationが人間の心的機制としての同一化identificationの原形をなしている。さらにK.アブラハムは,口唇期の中に,後期の歯の発育に呼応する〈口唇サディズム期oral sadistic stage〉をとり出した。この時期は単に対象をとり入れるだけではなく,心理的には対象を攻撃し破壊するという関係が生じる。またM.クラインは,口唇期の乳児には,良い乳房のイメージと悪い乳房のイメージとが別個のものとして体験され,この両イメージがめまぐるしく交代するという仮説を提出している。いずれにせよ,この時期に良好な母子関係を持てた乳児には,E.H.エリクソンが唱えたように基本的信頼感がはぐくまれると考えられる。
執筆者:下坂 幸三
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…上のようなフロイトの心的装置論は,今日の精神分析においてもおおむね継承されているが,新生児が混沌たるエスの塊であるという見方は疑問視されており,自我はきわめて早期に形成されてくるという見方が有力となった。 〈口唇期〉にはじまり〈肛門期〉〈男根期〉〈潜伏期〉を経てついに〈性器期〉に統合されるというフロイトの唱えた精神性的発達理論は,性愛の発達を核心に据えた一つの発達心理学である。フロイトは,口唇や肛門が対象――精神分析用語で人間対象を意味し,一個の人間全体は全体対象であり,乳房やペニスは部分対象である――との接触(たとえば授乳時の口唇)において,ないしはそれ自体の機能(たとえば便をためこんで排出するさいの快感)として,エロティックな機能を本来そなえていると同時に,これらの器官の機能を通して養育者に対する陰陽種々の感情がはぐくまれることに着目した。…
…すなわち乳児は空腹でないときでもおしゃぶりで栄養をとるさいの動作を反復して,深い満足を味わう。おしゃぶりはやがて指しゃぶりに発展し,また自慰と結合することすらある(口唇期)。また大便の通過による肛門部への粘膜刺激も快感となる。…
※「口唇期」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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