古宿村
ふるじゆくむら
[現在地名]西方村元
柴村の北、真名子村との境をなす城山東麓にある。中世以来の栃木と日光を結ぶ道に沿う。近世初頭、西方藩藤田氏の城下町整備にあたり成立し、西方郷一三ヵ村のなかでは比較的新しい村といわれる(西方記録)。慶安郷帳に村名がみえ、田一九九石余・畑一四〇石余、武蔵岩槻藩領。のち下総古河藩領を経て、元禄一〇年(一六九七)旗本横山領となり幕末に至る。
古宿村
ふるじゆくむら
[現在地名]水戸市元吉田町
下町の南の東茨城台地上にある。西は吉田村。
中世の館跡があり、「水府志料」に「今常照寺にあり、或云、大掾清幹の子盛幹、始而吉田太郎と称す。其後代々吉田を称し、一族那珂川の南北に繁衍す。此所即この吉田氏の居所なり」とある。吉田氏・江戸氏のあと佐竹氏の支配となる。「新編常陸国誌」は「佐竹氏在城ノ頃マデハ、海浜ヨリ上方ヘノ通路ナレバ、毎月六度ノ市タチシ由、言ヒ伝ヘタリ」と記す。近世は水戸藩領。藤柄道が設けられてから吉田村より分れて一村となり吉田古宿といったが、正保―元禄(一六四四―一七〇四)の頃から古宿村と称した。
古宿村
ふるやどむら
[現在地名]君津市平山
平山村の南東にあり、集落は宇坪谷に沿って展開する。同村ほか西は朝立・千本・外ヶ野各村へ道が通ずる。貞享元年(一六八四)の酒井忠挙領知目録(酒井家文書)に村名がみえ、上野前橋藩領。元禄郷帳では平山村枝郷古宿村とあり、高三一石余。
古宿村
ふるやどむら
[現在地名]静岡市古宿
有度山丘陵南麓に位置し、西は青沢村、南は駿河湾に面する。東は安居村。領主は西平松村と同じ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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