古宿村(読み)ふるじゆくむら

日本歴史地名大系 「古宿村」の解説

古宿村
ふるじゆくむら

[現在地名]豊川市古宿町

鎌倉街道の宿場である豊河とよかわ宿はここであったという。「吾妻鏡」暦仁元年(一二三八)二月八日条に「寅剋以後小雨、日出属晴、未剋又雨降、着御豊河宿、及深更風雨甚」とあり、同一〇月一九日・二〇日条に「入夜雨下、戌一剋着御豊河駅、○廿日辛酉、風雨、辰刻出御、於本野原甚雨暴風、然而御輿前後人々者、不笠、皆以舐鼻、午刻以後属晴、酉剋橋本御宿」とある。いずれも橋本はしもと宿(現静岡県)、豊河宿、矢作やはぎ宿(現岡崎市)を経由したものである。


古宿村
ふるじゆくむら

[現在地名]西方村もと

しば村の北、真名子まなご村との境をなすしろ山東麓にある。中世以来の栃木と日光を結ぶ道に沿う。近世初頭、西方藩藤田氏の城下町整備にあたり成立し、西方郷一三ヵ村のなかでは比較的新しい村といわれる(西方記録)。慶安郷帳に村名がみえ、田一九九石余・畑一四〇石余、武蔵岩槻藩領。のち下総古河藩領を経て、元禄一〇年(一六九七)旗本横山領となり幕末に至る。


古宿村
ふるじゆくむら

[現在地名]水戸市元吉田もとよしだ

下町したまちの南の東茨城台地上にある。西は吉田村。

中世の館跡があり、「水府志料」に「今常照寺にあり、或云、大掾清幹の子盛幹、始吉田太郎と称す。其後代々吉田を称し、一族那珂川の南北に繁衍す。此所即この吉田氏の居所なり」とある。吉田氏・江戸氏のあと佐竹氏の支配となる。「新編常陸国誌」は「佐竹氏在城ノ頃マデハ、海浜ヨリ上方ヘノ通路ナレバ、毎月六度ノ市タチシ由、言ヒ伝ヘタリ」と記す。近世は水戸藩領。藤柄ふじがら道が設けられてから吉田村より分れて一村となり吉田古宿といったが、正保―元禄(一六四四―一七〇四)の頃から古宿村と称した。


古宿村
ふるやどむら

[現在地名]君津市平山ひらやま

平山村南東にあり、集落宇坪うつぼ谷に沿って展開する。同村ほか西は朝立あさだち千本せんぼん各村へ道が通ずる。貞享元年(一六八四)の酒井忠挙領知目録(酒井家文書)に村名がみえ、上野前橋藩領。元禄郷帳では平山村枝郷古宿村とあり、高三一石余。


古宿村
ふるやどむら

[現在地名]静岡市古宿

有度山うどさん丘陵南麓に位置し、西は青沢あおいさわ村、南は駿河湾に面する。東は安居あご村。領主西平松にしひらまつ村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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