小説家。山口県下関市生まれ。山口大学教育学部卒業後、1年間の教員生活を経て、山口新聞社に入社。編集局長まで務めて1970年(昭和45)に退社し、文筆生活に入る。小説は20代のころから書いていたが、佐木隆三によれば、新聞記者時代に「スペインへ出張して、なぜか消息を断ち、9カ月後にひょっこり帰国」(文春文庫『吉田松陰の恋』解説)して以後、突如として旺盛(おうせい)な創作活動を始めたという。1965年、同人誌『午後』に発表した「走狗(そうく)」が『文学界』の同人誌推薦作として転載され、直木賞の候補となる。オペラ歌手藤原義江の生涯を描いた『漂泊者のアリア』(1990)で、第104回直木賞を受賞。候補になること実に10回目にしての栄冠であった。
受賞のことばで彼は「初めて候補に挙げられてから25年の歳月が流れました。それは非才の身で大きな賞をいただくのに必要な時間でした。この長距離ランナーにとって、直木賞は終始きびしい激励の声をかけてくれる伴走者でしたので、私は決して孤独ではありませんでした」としみじみ喜びを語った。
ちなみに、古川のそのほかの直木賞候補作品を列挙すると、1973年「女体蔵志(にょたいぞうし)」、1974年「塞翁(さいおう)の虹」、1977年『十三人の修羅』、1978年「野山獄相聞抄(のやまごくそうもんしょう)」、1980年「きらめき侍」「刀痕記」、1981年『暗殺の森』、1988年『正午位置(アット・ヌーン)』、1989年『幻のザビーネ』の各編である。
下関在住の古川は、博多の白石一郎、佐賀の滝口康彦(1924―2004)と並んで、時代小説における地方在住作家の雄として知られる。彼らはその強みを生かし、生まれ育った土地とそこで活躍した人物を描くことで、郷土の歴史を確かめると同時に独自の文学世界を構築していった。古川の場合、幕末から明治維新にかけて、動乱の時代を生きた長州人たちを主人公にした作品で、徐々に地歩を固めていった。だがその後、しだいに領域を広げていった古川は、幕末維新ものに限らず、積極的に新たな試みを行うようになる。長州藩が秘匿した中山忠光(ただみつ)暗殺事件の謎を、現代の新聞記者が追求する形をとった『暗殺の森』や、歴史推理に真正面から取り組んだ『源氏物語夕顔殺人事件』(1983)。あるいはスペインのカナリア諸島を舞台に、日本人漁船員の殺人事件を追う主人公がスペイン女性との愛に耽溺(たんでき)する『正午位置』、同僚の変死によって日本を追われたエリート・サラリーマンが、ハンブルクの街でかつて文通していたドイツ人女性を探す『幻のザビーネ』などの現代小説もそうした意欲の表れであった。しかし、こうした多彩な作品を送り出しながら、原点である歴史小説への志向を忘れることはなく、次々と新たな作品を生み出した。
[関口苑生 2018年5月21日]
『『暗殺の森』(1981・講談社)』▽『『源氏物語夕顔殺人事件』(1983・新潮社)』▽『『正午位置』(1988・文芸春秋)』▽『『幻のザビーネ』(1989・文芸春秋)』▽『『吉田松陰の恋』『漂泊者のアリア』(文春文庫)』▽『『十三人の修羅』(講談社文庫)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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