お染久松
おそめひさまつ
浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)などの登場人物名。『戯場年表』や『実事譚(じつじたん)』などでは、1708年(宝永5)大坂・東堀の質店油屋の丁稚(でっち)久松が主家の幼女お染を誤って水死させ、申しわけに土蔵で首を吊(つ)って自殺したのが実説とされるが、良家の娘と奉公人の情死として評判になり、歌祭文(うたざいもん)に歌われ、戯曲でも多くの「お染久松物」を生んだ。浄瑠璃では紀海音(きのかいおん)の『お染久松袂(たもと)の白(しら)しぼり』(1711)が最初の作で、菅専助(すがせんすけ)作『染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)』(1767)、近松半二作『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』(1780)が有名。歌舞伎では『心中鬼門角(しんじゅうきもんのかど)』(1710)が最初の作で、4世鶴屋南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』(1813)、舞踊劇『道行浮塒鴎(みちゆきうきねのともどり)』(1825)などが知られる。
[松井俊諭]
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おそめひさまつ【お染久松】
宝永五年(
一七〇八)大坂瓦屋橋油屋の丁稚
(でっち)久松が、主家の娘お染と情死した巷説を脚色した戯曲の
通称。歌舞伎の「心中鬼門角
(しんじゅうきもんかど)」(宝永七年大坂荻野八重桐座初演、中田猪同作)を最初とし、浄瑠璃の「お染久松袂の白しぼり」(正徳元年(
一七一一)大坂豊竹座初演、紀海音作)、「染模様妹背門松
(そめもよういもせのかどまつ)」(明和四年(
一七六七)大坂北堀江市ノ側芝居初演、菅専助作)に続く「新版歌祭文
(しんぱんうたざいもん)」(安永九年(
一七八〇)大坂竹本座初演。近松半二作)で大成された。「
野崎村の段」が特に名高く、久松の
許嫁(いいなずけ)お光が
尼になる悲劇を添えた。
以後の歌舞伎の「お染の段」「お染」「ちょいのせの善六」など、多くの作がその影響を受けている。
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お染久松
(通称)
おそめ ひさまつ
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 心中鬼門角 など
- 初演
- 宝永7.1(大坂・八重桐座)
お染久松
おそめ ひさまつ
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 宝暦8.1(江戸・中村座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報