(1)人形浄瑠璃。世話物。2巻。角書〈おそめ久松〉。近松半二作。1780年(安永9)9月大坂竹本座初演。和泉国の侍相良丈太夫の遺児で野崎村の百姓久作に養育された久松が,奉公先の大坂の質店油屋の娘お染との許されぬ恋のために心中するに至るという経緯を主筋とし,それに久松の主家の宝刀の詮議,悪人たちによる金の横領,久松の許嫁お光の悲恋等々のプロットを絡めて展開させたもの。先行する紀海音の浄瑠璃《おそめ久松 袂の白しぼり》や菅専助の《染模様妹背門松》を踏まえて脚色された作品で,お染久松物の代表作となっている。お家騒動的な要素を採り入れた複雑な筋立てが,上の巻〈座摩社〉〈野崎村〉,下の巻〈長町〉〈油屋〉の各場にわたって繰り広げられていくが,その中では,お染・久松の死の覚悟を察知したお光が,2人の命を救うために,それまで楽しみにしていた久松との祝言をあきらめて尼になるという悲劇を山場に構成されている〈野崎村〉の段が最も優れた一幕であり,また,上演頻度も高い。とりわけ,久松をめぐる2人の娘の対照的な恋という,その場の設定の上には,いかにも半二の作らしい特色が認められるといってよい。その他,在所育ちのお光の哀れな自己犠牲,実直な久作の心のこもった意見事,美しい商家の娘お染の思い詰めたクドキ,さらには幕切れの場における華やかな三味線の演奏など,太夫,三味線,人形のそれぞれにわたって多彩な技巧が要求されている。初演の太夫は2世竹本組太夫。(2)歌舞伎狂言。世話物。上の浄瑠璃は,1785年(天明5)5月大坂中村粂太郎座(中の芝居)で歌舞伎化された。お染を初世市山太次郎,久作を初世中村次郎三,お光を4世岩井半四郎,久松を2世中村粂太郎。眼目とされる場面はやはり〈野崎村〉で,今日ではとくに幕切れでお光の悟りきれない悲しみを強調する6世尾上菊五郎の演出が一般に踏襲されている。
執筆者:原 道生
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。2段。近松半二(はんじ)作。1780年(安永9)9月、大坂・竹本座初演。歌祭文などで流布していたお染久松の情話を脚色、歌舞伎(かぶき)脚本『心中鬼門角(しんじゅうきもんのかど)』(1710)や、紀海音(きのかいおん)作『袂(たもと)の白(しら)しぼり』(1710)、菅専助(すがせんすけ)作『染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)』(1767)などの浄瑠璃を基にしたもので、同系の戯曲の代表作。和泉(いずみ)石津(いしづ)家の臣相良丈太夫(さがらじょうだゆう)の遺子で野崎村の百姓久作に預けられて成長した久松が、質屋油屋に丁稚(でっち)奉公中、主家の娘お染と恋仲になり、悪人たちの陰謀に巻き込まれて心中してしまう物語だが、上の巻「野崎村」が後世に残り、人形浄瑠璃でも歌舞伎でも有数の人気演目になっている。宿元へ下げられた久松を久作は娘お光(みつ)と祝言させようとするが、そこへ縁談にせっぱ詰まったお染が訪ねてくる。初め嫉妬(しっと)したお光も、死を覚悟したお染久松の姿に心動かされ、尼となって恋を譲り、2人は感泣しながら、お染は迎えにきた母とともに舟で川を、久松は駕籠(かご)で土手を、別れ別れに油屋へ帰ってゆく。うぶな田舎(いなか)娘お光と早熟な町娘お染との対照が巧みに描かれ、最後の舟と駕籠の引込みは、義太夫では三味線の華麗な節づけ、歌舞伎では両花道を効果的に使った演出が喜ばれている。
[松井俊諭]
『鶴見誠校注『日本古典文学大系52 浄瑠璃集 下』(1959・岩波書店)』
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