( ②について ) ( 1 )ポルトガル人の伝えた毛織物の capa を戦国武将たちは外衣として珍重した。厚手で防水性があり、ヨーロッパのすぐれた技術で染色された鮮明な緋色、黄、黒色が特に愛好された。
( 2 )「合羽」と当てられ、その形態も日本化されて、「雨合羽」「道中合羽」などの種類を生じ、材質も工夫されて庶民層にまで広がった。
寒さや雨雪を防ぐために衣服の上に着用する外衣。語源はポルトガル語のカパcapaで,16世紀後半,日本に来航したポルトガル人やスペイン人などが着ていた〈袖もなくすそ広きもの〉(《四季草》)にちなむ。織田信長,豊臣秀吉,足利義昭など当時の支配者たちは早速これをまねて,西洋から献上された最高級羊毛布地の〈猩々緋(しようじようひ)〉(赤紫色)で同形のものを作らせ,カッハ,カハン,カッパなどと称して身辺に置き,権威の象徴とした。それ以前にはみのしかなく,防寒防雨雪用としてカッパは最適のため,鎖国以後も,オランダ人のもたらしたラシャや羅背板(らせいた)などの羊毛布地を使って,上級武士の間に広く使われはじめてゆき,合羽と記され,雨合羽ともいわれた。さらに富裕な町人,医師,俳人たちも合羽の贅(ぜい)を競うようになったため,幕府は数度にわたって着用を禁止,ついに罰則つきの禁令が出され,元禄初年(1688)ころから町人のラシャの合羽着用は見られなくなった。
江戸中期ころから木綿が国内で生産されるようになると,富裕な町人たちが木綿合羽を着はじめた。これは小袖の上に重ね着をする袖のついた裾長のもの(長合羽)であった。つづいて元禄年間(1688-1704)後半には紙合羽が誕生した。防水のために荏油(えのあぶら)や桐油(とうゆ)などを塗った和紙(油衣,桐油紙)で作った合羽であった。上質の荏油の合羽は大名行列などに用いられ,一般には安価で速成の桐油のものが常用された。そこで紙合羽のことを桐油紙合羽とか桐油といい,のちには合羽というだけで桐油紙で作ったものを指した(馬や荷の上にかける雨おおいも合羽と称するようになった)。その形は,初期ラシャ製の〈すそ広きもの〉を受けついで丸く広いものだったので,このころから初めて丸合羽とか,むかし南蛮僧が着用していた形を踏襲していたので坊主合羽などと呼ばれた。紙合羽の仕上げの色は,赤,緑,黄,黒と鮮やかであった。中でも赤色の半合羽は〈赤合羽〉と称して,武家のお供の中間(ちゆうげん)は雨降りの際にいっせいに着用して行列に彩りを添えた。武家や僧侶の大半は幕末近くまで,依然として萌黄(もえぎ)色のラシャなどで作った裾の長い合羽(長合羽)を着ていたが,一般の町人は木綿の長合羽を着用していた。しかし,享保年間(1716-36)に,富裕な町人や武家の従士たちは,木綿の半身の合羽(半合羽)を着用しはじめた。18世紀初頭から中ごろまでの間,江戸ではごくまれだが一部庶民の女性の間で袖つき裾長の木綿合羽が着られた。武家の女性は,一時それを室内着として着用した。座敷合羽ともいい,すぐに被布(ひふ)となった。
幕末以降,西洋の外套を模した〈とんび〉や〈廻(まわ)し〉を着るようになると,合羽は姿を消したが,明治末にゴム引きの防水マントが出現し,カッパとか雨合羽と呼ばれて昭和前期まで広く愛用された。
執筆者:山根 章弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
雨具と防寒具を兼ねた服飾品。合羽はポルトガル語のcápaから出たことばで、「合羽」は当て字である。わが国には15世紀の後半、南蛮文化とともに舶載された。それまでわが国の防寒、防雨具は、植物繊維で編んだ蓑(みの)であったが、合羽が当初「南蛮蓑」とよばれたのは、蓑と合羽の相似性のゆえである。合羽は広げると円形になるので丸合羽といわれ、また南蛮僧が着用していたところから坊主合羽ともいわれた。羅紗(らしゃ)製で、色は黒、赤、黄、緑などがあり、緋(ひ)色のものをとくに「猩々緋(しょうじょうひ)」とよんで、最高級品とした。豊臣(とよとみ)秀吉が、大坂城落成のおりに招待した南蛮僧が、天守閣の各層に合羽が下がっているのをみて驚嘆した話は有名である。紫ビロード地に周囲を金モールで飾った上杉謙信(けんしん)遺愛のものが、現在山形県米沢(よねざわ)市の上杉神社に蔵されており、水戸徳川家にも緑羅紗製品のものが残されている。羅紗は輸入品であり、そのうえ高価なものであったから、わが国では、わらび糊(のり)を使って和紙を継ぎ合わせて、その上に桐油(とうゆ)と柿渋(かきしぶ)を引いた紙合羽、桐油合羽がつくられた。のちには縞(しま)木綿を表に、絣(かすり)木綿を裏にして、防水用の渋紙を中入(なかいれ)にした廻(まわ)し合羽がつくられ、これを引き廻しともいって庶民の道中用にした。しかし、廻し合羽は着物には不便なので、着物仕立ての合羽が考案され、これを袖(そで)合羽とよんで男女とも利用した。
江戸時代中期以降になると、羅紗を使った高価な袖合羽もしだいに一般化した。合羽は丈の長短により長合羽、半合羽といわれ、小者や庶民の間では半合羽ですませる男性もいた。合羽の普及に伴い、女性は雨具よりも防寒用具として高級織物でつくり、これをお座敷合羽あるいは被風(ひふ)とよんで利用した。被風は後の被布の前身であり、被風の流行は女の羽織を禁止するほどまでに至った。合羽の襟を角襟として、丈の短いものが、鷹匠(たかしょう)や餌差(えさ)しなどの人たちの間で用いられ、これが歌舞伎(かぶき)の『忠臣蔵』の勘平の扮装(ふんそう)に取り入れられ、お軽が道行に借用して着たところから、この合羽を「道行」というようになった。明治から大正にかけレインコートの普及に伴い合羽の需要はしだいに減少し、和服とその運命をともにしている。
[遠藤 武]
『遠藤武「南蛮伝来服飾考」(『和洋女子大学紀要』第4集所収・1956)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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…雨降りの外出や労働のさい身に着ける外衣,かぶりもの,履物などの総称。蓑,合羽,笠,傘,レインコート,帽子,足駄(高下駄),雨靴などがある。わら,スゲ,海藻などの植物,防水加工を施した紙や布,ゴム,ナイロンなど撥水性のある素材で作られる。…
…日本には16世紀にポルトガル人によってもたらされ,上杉謙信などの武将が用いた。後に合羽として庶民に普及した。【池田 孝江】。…
※「合羽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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