朝日日本歴史人物事典 「名越光時」の解説
名越光時
鎌倉中期の武将。『系図纂要』には正安2年6月13日(1300.6.30)没とみえるが,検討を要する。名越朝時の嫡子。母は大友能直の娘。越後守護。越後守。摂家将軍藤原頼経の下に集まった反得宗勢力の中心人物。執権北条時頼が頼経を京都に送還した寛元4(1246)年5月の宮騒動では,名越氏は厳しい処遇を受け,光時は越後守護・同国国務以下帯した役職を解任され,所領も没収された。事件後出家して,翌6月には伊豆国江馬に配流となった。法名は蓮智。弘長2(1262)年には,叡尊から鎌倉で菩薩戒を授けられた。金沢文庫本『斉民要術』の紙背文書には,越訴奉行北条実時にあてた光時の書状がある。<参考文献>川添昭二「北条氏一門名越(江馬)氏について」(『日本歴史』464号)
(永井晋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報