初期議会期における親政府派の呼称。「民党」とともに中江兆民の命名によるという。具体的には大成会から中央交渉部・国民協会の流れをさす。民党に対抗する一方,超然主義の建前から藩閥政府とも距離を保たざるを得ない立場にあった。自由党が第2次伊藤内閣に接近するとともに,吏党という名称も用いられなくなった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…90年7月の第1回衆議院総選挙のさい,大同俱楽部などの旧自由党系3派,九州同志会(以上の4派は選挙後立憲自由党を結成),立憲改進党などを民権党と呼んで政府党と区別したのが端緒。やがて,議会で連携して藩閥政府に対抗する立憲自由党(1891年3月自由党と改称),立憲改進党は民党と,政府を支持する大成会,国民協会などは侮蔑的に吏党と呼ばれるようになった。民党は民力休養(地租軽減,政費節約)を唱えて政府予算案の大幅削減を決議,あわせて言論・集会の自由を要求し,超然主義に立つ政府と激しい対立をくりかえした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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