江戸幕府が長崎に置いた唐船のための訳官。1604年(慶長9)明(みん)人馮六(ひょうろく)に始まるとされるが、訳官としての地位が明確になるのは1641年(寛永18)である。その後、大通事(おおつうじ)4名、小(こ)通事5名の定員になり、明末清(しん)初、日本に流寓(りゅうぐう)した人々の子孫である潁川(えがわ)(本姓陳(ちん)氏)、官梅(かんばい)・二木(にき)(本姓林(りん)氏)、彭城(さかき)(本姓劉(りゅう)氏)らの諸家がその職を世襲した。取引の際の通弁はもとより、長崎入港の際の宗門改(あらため)、積荷帳・風説書の翻訳・上申、唐人屋敷内での密貿易の監視、唐人の下意上達、帰航時の信牌(しんぱい)(来航許可証)の交付などを行う。通常、唐通事とは、前述の額設九家の大・小通事をさしていい、漳州口(しょうしゅうぐち)、福州口・南京(ナンキン)口通事の別があった。
[山脇悌二郎]
『林陸朗著『長崎唐通事――大通事林道栄とその周辺』(2000・吉川弘文館)』
江戸時代,長崎の唐船貿易の通訳官。1604年(慶長9)住宅唐人(じゅうたくとうじん)の馮六が任じられたことに始まる。通訳・貿易業務の仲介,唐船風説書の翻訳をおもな職務としたが,1715年(正徳5)からは唐船に対する信牌(しんぱい)の発給も行った。唐通事のなかには東南アジア各地からの唐船との通訳官もおり,1708年(宝永5)には本来の唐通事28人のほかにシャム通事3人・トンキン通事1人・モール通事1人がいた。また1672年(寛文12)からは大通事4人・小通事5人に加え,稽古通事の三職階となり,95年(元禄8)唐通事目付2人,99年風説定役・稽古通事見習各1人がおかれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…江戸時代の長崎の地役人で通訳官。一般に通事は中国語の唐通事を,通詞はオランダ通詞を指した。ともに通訳業務のほか,諸法令の伝達執行,貿易品の評価や日本側役人として取引折衝にあたり,貿易改革などについての意見上申,外国人や出入商人の管理統制にもあたる商務官でもあった。…
※「唐通事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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