唐船(読み)トウセン

デジタル大辞泉 「唐船」の意味・読み・例文・類語

とうせん【唐船】[謡曲]

謡曲四番目物外山吉広とびよしひろ作という。捕虜の唐人祖慶官人を慕い、二人子供が唐から迎えに来る。日本でもうけた二人の子供が帰国を引き留め、官人は困って死のうとするが、日本の子供も同行を許される。

から‐ふね【唐船】

中国の船。外国の船。また、それにならってつくられた船。もろこしぶね。
「わが恋は博多を出づる―のゆたのゆたたひ追ひ風を待つ」〈夫木・三三〉

とう‐せん〔タウ‐〕【唐船】

中国の船。また、中国風の船。からふね。もろこしぶね。
中世、中国との貿易にあたった日本の船。からふね。

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精選版 日本国語大辞典 「唐船」の意味・読み・例文・類語

から‐ふね【唐船】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国船の総称。
    1. [初出の実例]「新羅明神御歌 唐船に乗まもりにとこしかひは有りける物をここのとまりに」(出典:袋草紙(1157‐59頃)上)
  3. 唐式の船、または唐風の装飾をほどこした船。
    1. [初出の実例]「宋人和卿造畢唐船」(出典:吾妻鏡‐建保五年(1217)四月一七日)
  4. 中世、中国との貿易にあたった日本船。渡唐船
    1. [初出の実例]「室町殿兵庫御下向也。依唐船着岸也」(出典:師郷記‐永享六年(1434)五月二一日)
  5. 近世、中国式や西洋式など外国船に模した日本製の船をいう。
    1. [初出の実例]「慶長のはじめ、伊豆国伊東〈賀茂郡に属す〉において唐船を造らしめ、江戸浅草川に繋せ給ふ」(出典:通航一覧附録(1853)一八)

とう‐せんタウ‥【唐船】

  1. [ 1 ]からふね(唐船)
    1. [初出の実例]「むろまち殿よりたうせんのものとて、からにしき、しゆす、しやなとしつかゐ五十たんまいる」(出典:御湯殿上日記‐明応七年(1498)八月一四日(頭書))
  2. [ 2 ] 謡曲。四番目物。各流。作者不詳。九州箱崎のある男の捕虜となっている唐人祖慶官人(そけいかんにん)を慕って、その子ども二人が唐からやって来、官人は許されて帰ることになる。しかし、こんどは日本でもうけた二人の子どもが悲しむので、官人は困りはて海に身を投げ死のうとする。箱崎の男はこれを見て日本の子どももともに行くことを許し、父子五人喜んで船出する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「唐船」の意味・わかりやすい解説

唐船(中国船)
とうせん

江戸時代、長崎に来航した中国船の通称。沙船(しゃせん)、鳥船(ちょうせん)の別がある。沙船は、船体の内部を水密隔壁で仕切った平底(ひらぞこ)の船。長さ30メートルほど。通常、大小3本の帆柱があり、船尾船首より高く、積量50トンほど。ポルトガル人がジャンクjuncoといった船である。鳥船は、船首から船尾にかけて竜骨を通し、竜骨に組み合わせて多数の肋(ろく)材を配列して船底をとがらせた船。長さ30~50メートルほど、3本の帆柱、船尾と船首の高さが平均し、積量100~450トンほど。ポルトガル人がソマsomaといった船である。1723年(享保8)清(しん)政府は船首の両わきを地域別に塗り分けることにした。すなわち、来航唐船のうち、南京(ナンキン)船(上海(シャンハイ)出航)は藍(あい)色、浙江(せっこう)船(乍浦(さくほ)出航)は白色、福建船(厦門(アモイ)出航)は緑色、広東(カントン)船(広州出航)は赤色に塗っていた。唐船を代表する商人を、初め船頭、のち船主といった。船主は行商ともよばれ、通常、荷主を代理して渡来する者である。船は通常、船戸とよばれる所有者から一航海を限って借り、乗組員は出港時に雇い入れ、給料のうちのいくらかを長崎で支払うことになっていた。

[山脇悌二郎]


唐船(能)
とうせん

能の曲目。四番目物。五流現行曲。古くは「祖慶官人(そけいかんにん)」とも。日本と中国の船争いで捕らえられた祖慶官人(シテ)は、13年の抑留生活中に日本で生まれた2人の子供(子方)とともに、牛馬を飼う労働に使役されている。中国で成長した子供たち(子方2人)は、多くの宝と交換に父を救出に来航する。支配者の箱崎の某(なにがし)(ワキ)はそれを了承するが、日本で生まれた子は日本に残せと厳命する。父は、船にも乗らず、陸にもとどまるまいと、投身自殺を計る。取りすがる4人の子供たち。親子の情けに箱崎はともに帰国を許し、その唐船の上で祖慶は喜びの舞を舞い、本国へと去っていく。狭い作り物の船上でのびやかに舞う演技がむずかしい。国際紛争を描いた異色の作品である。

[増田正造]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「唐船」の意味・わかりやすい解説

唐船
からぶね

古代から近世を通じて,中国船に対する日本での呼称で,同時に日本で造った中国式の船の呼称でもあった。中国式のいわゆるジャンクは,遅くも6世紀には中国独特の船体構造と帆装をもつすぐれた海船として完成したが,その後段階的発達をとげて,中世以後には東南アジア,インド,南洋まで航跡を延ばして貿易に活躍した。船体は竜骨に多数の隔壁を組合せた骨組みに外板を張ったじょうぶな構造で,独自の網代帆の帆装は横風や逆風時にも高性能を発揮し,15~16世紀では世界のトップレベルの航洋帆船であった。なお室町時代には,遣明船のように日本から中国へ渡航する船を,船の型式にとらわれず唐船と呼んでいた。

唐船
とうせん

唐船」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の唐船の言及

【長崎貿易】より

…長崎港の対外取引において代表的な明治以前の貿易をいい,(1)ポルトガル船に対する1571年(元亀2)の開港から鎖国までのいわゆる南蛮貿易時代,(2)1633年(寛永10)に最初の鎖国令が出てから幕末開港までの対外貿易独占時代,(3)1859年(安政6)3港開港後のいわゆる自由主義貿易時代,に区分される。(1)南蛮貿易期 開港後まもなく,一時イエズス会領になったので(1580),それまで九州各地に渡来したマカオからのポルトガル船や,マニラ発のスペイン船は長崎に集中するようになり,江戸時代に入ると唐船(江戸時代には明,ついで清朝船だけでなく,東南アジア各地からのジャンクもそうよばれた)の入港も急増し,さらに朱印船の中心的な発着港として栄えた。これに対し後発のオランダ,イギリスは,それぞれ1609年(慶長14),13年に平戸に商館を建てて日本貿易を開始した。…

※「唐船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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