啓蒙絶対主義aufgeklärter Absolutismus(ドイツ語)ともいう。近代化に遅れた諸国、ドイツ諸領邦において君主を中心に啓蒙的諸政策を採用した絶対主義の一形態。ことに18世紀に入ると、啓蒙主義思潮の影響を受けて、専制君主による近代化が強行された。典型的にはプロイセンのフリードリヒ2世、オーストリアのヨーゼフ2世、ロシアのエカチェリーナ2世のように、ボルテールなどの啓蒙主義者たちと交流し、専制政治を行った。オーストリアのマリア・テレジア、レオポルト2世も含めて、君主は社会契約論による「国家=国民の従僕」と考え、王家と国家を区別し、担税力のある農民を封建的貴族から、手工業者をギルドから、住民を教会から解放する。しかし恩恵的な君主には、国家と国民の区別、国民の基本的人権が十分に意識されているわけではなかった。重商主義と、重農主義による農民保護、宗教からの寛容令などは啓蒙専制君主(開明専制君主ともいう)にとって、それ以上には譲れない進歩的政策であった。
しかし、伝統的な教会、封建的貴族、都市の身分制と対立する官僚的絶対主義権力の強化は、啓蒙政策によって教会から国民に及ぶ警察国家をつくりだす。産業の育成、農民保護=解放、信仰の自由などは、資本主義の発展にとって上からの進歩的政策であり、ブルジョア的宮廷文化の華を咲かせたが、基本的に反農民・反労働者的であった。そこに啓蒙専制主義の限界があり、市民革命によって命脈を断たれる理由もあった。
[進藤牧郎]
啓蒙絶対主義ともいう。18世紀後半のヨーロッパ,とりわけドイツの諸領邦にみられる絶対主義の一形態。絶対主義の歴史的課題への後進国的対応において,自然法の国家理論を君主権力強化のために利用し,「公共の福祉」の理念にもとづく後見国家=警察国家の体制を樹立した。経済政策の面では重商主義による商工業の育成や農民保護,宗教政策の面では信教自由の容認を特徴とするが,身分制を根底から否定するものではない。啓蒙専制君主としてはプロイセンのフリードリヒ2世やオーストリアのヨーゼフ2世が代表例で,いずれも啓蒙思想の影響のもと,王権神授説や家産制的支配観から脱皮し,君主をも国家に奉仕する一機関ととらえるに至っているが(「君主は国家第一の下僕(しもべ)」),何が国家目的にかなうかは君主一人が専断する。したがって高度に合理化された絶対主義ということもできる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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