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王権神授説 おうけんしんじゅせつdivine right of kings; Gottesgnadentum

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

王権神授説
おうけんしんじゅせつ
divine right of kings; Gottesgnadentum

ヨーロッパの中世から近代初期にかけて,王の権力をキリスト教によって補強する役割を演じた観念。王の統治権は人民の委託によらず,神の特別な恩寵に基づくとするもので,帝王神権説とも呼ばれる。この観念は,王権の超越性を強調しながら,神の正義 (法) との合致を国王に義務づけることにより,封建王制のもとでは貴族領主の抵抗権を容認していたが,近代初期に絶対王制が成立すると,国王の統治行為に対する人民の拘束をすべて排除するためのイデオロギーに転化した。イギリスのジェームズ1世やフランスのルイ 14世らは,この理念を意識的に利用した。啓蒙絶対主義は,自然法学説に基づく王権の合理的解釈を通じて,王権神授の観念から脱却した。

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デジタル大辞泉の解説

おうけんしんじゅ‐せつ〔ワウケンシンジユ‐〕【王権神授説】

王権は神から国王に授けられたもので、その権力は神聖で絶対的なものである、とする政治思想。近世初期ヨーロッパで、王権の支持・擁護のために英国のロバート=フィルマーなどによって主張された。

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百科事典マイペディアの解説

王権神授説【おうけんしんじゅせつ】

絶対王政時代の政治理論。王権は神から授けられたもので絶対神聖,不可侵で,人民の王に対する反抗は認められないとする王権万能説。ジェームズ1世,フィルマールイ14世,ボシュエらが信奉者で,新約聖書《ロマ書》に理論的根拠が置かれている。
→関連項目フィルマー

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世界大百科事典 第2版の解説

おうけんしんじゅせつ【王権神授説 divine rights of kings】

帝王神権説ともいう。王や皇帝が神からその権力を与えられたという考えを指す。こうした考えは人々の宗教意識の存在を前提にして古くから世界の各地で広くみられた。したがってその社会的・歴史的役割は具体的状況に応じてさまざまであった。16~17世紀のヨーロッパでは,下からの抵抗権を否定するとともに外からの介入――とくにローマ教皇の――を防止し,安全と平和を実現するために,王権神授説が主権論の一般向け教説として重要な役割を果たすことになった。

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大辞林 第三版の解説

おうけんしんじゅせつ【王権神授説】

君主の権力は神から授けられた絶対のものであり、教皇など他の権力から制約されないとする思想。近世のヨーロッパで、絶対君主の支配を正当化するために主張された。帝王神権説。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

王権神授説
おうけんしんじゅせつ
(theory of the) divine rights of kings

国王の支配権は神から授かったものであるから神聖不可侵であり、臣民は国王の命令には絶対に服従しなければならない、という政治思想。神授権説、帝王神権説ともいう。古代・中世の時代には、支配の原理としては王権神授説的な考え方が一般的であった。しかし、王権神授説が歴史上とくに重要性を帯びて登場してきたのは、15世紀から18世紀にかけての西欧世界において絶対主義国家とよばれる国家群が出現した時点である。なぜなら、各国の王は強大な国家的統一を目ざし、一方ではローマ教皇を中心とする旧教勢力、また宗教改革後にはジュネーブを中心とする新教勢力の双方からの外的影響力を排除するために、他方では新興勢力である市民階級の反抗を抑えるために、この王権神授説を用いたからである。新・旧両宗派はいずれも各国における聖・俗両分野の支配権を主張し、国王との対立が絶えなかった。また臣民は新・旧両宗派のいずれかに属していたから、国王と臣民多数との宗教が異なれば国王と臣民との間で、また異なる宗教をもつ臣民同士の間で宗教紛争が多発し、宗教問題は政治的・経済的利害とも絡んで、国内政治はつねに不安定な様相を呈した。王権神授説はこうした国際・国内問題を一挙に解決しようという王党側の政治理論であった。なぜなら、この説では、国王は自国における聖・俗両界の首長であるから、国王の意志・決定は内外を通じて最高・絶対であり、またそのような国王主権論に基づく支配の正統性は神によって保証されている、と主張できたからである。こうした思想は、イギリスではヘンリー8世がローマ教会と絶縁(1534)したことにより、フランスでは、エリザベス治世と同じころ、ユグノー(新教徒)の反抗を抑えてアンリ4世がブルボン王朝を創設(1589)したことによって具体的基盤を得た。
 いまやイギリス、フランスでは政治の宗教に対する優位が確立されたが、今度は絶対王政は市民階級からの挑戦を受ける。市民階級は、悪政は変更できるという中世からあった暴君放伐論の思想に、政治権力の基礎は人民の同意や契約に基づくという新しい社会契約説を接合して、国民主権主義や議会政治の確立による政治の国民への開放を主張し始めた。この際、イギリス国王ジェームズ1世やフィルマーなどは、王権神授説に基づき、臣民による反抗を否定した。フランスではルイ14世の皇太子の師ボシュエが、フィルマーと同じく、王は神からその権力を授かり、家長が家族に対して絶対権力を行使するように、国家の長である王の権力も絶対である、という家父長制論的王権神授説を唱えた。フィルマーに対してはロックが、ボシュエに対してはルソーが批判を加え、市民革命の成功とともに王権神授説は影響力を失った。日本では明治維新によって近代国家が成立したのちにも、フィルマー流の家族国家観が支配の原理として重要な地位を占め、敗戦まで日本の近代化・民主化の進展を妨げた。[田中 浩]

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