コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

啓蒙絶対主義 けいもうぜったいしゅぎ

2件 の用語解説(啓蒙絶対主義の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

啓蒙絶対主義【けいもうぜったいしゅぎ】

啓蒙思想の影響を受け,政治・軍事の改革,産業の保護育成などを行い,上からの近代化を意図した18世紀西欧の発展途上国に現れた絶対王政の形態。プロイセンフリードリヒ2世,オーストリアヨーゼフ2世,ロシアエカチェリナ2世などがその代表的存在。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

けいもうぜったいしゅぎ【啓蒙絶対主義 enlightened absolutism】

18世紀後半,ドイツイタリア,ロシアなどに現れた,絶対主義的な君主制の一局面。この時代フランスを中心に展開した啓蒙思想を,君主自身が〈上からの近代化〉のために採り入れ,官僚行政の拡充を通じて,さまざまの改革を試みたもの。これを代表する君主には,フリードリヒ2世(大王),ヨーゼフ2世などがあり,初期のエカチェリナ2世もそれに含められる。 啓蒙絶対主義の思想的源流のひとつは,フランスの重農主義者が唱えた〈合法的専制主義despotisme légal〉に見いだされるが,その意味するところは,君主を啓蒙して〈自然の理法〉を信奉せしめ,独裁権力による立法活動を通じて,伝統的な諸特権を排除することにより,この自然法則を社会に貫徹させることにあった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の啓蒙絶対主義の言及

【ドイツ】より

…18世紀において〈帝国(ライヒReich)〉という言葉は,西南ドイツを中心とする諸小国圏の別称ともなっていたのである。
[啓蒙と未熟]
 17~18世紀におけるドイツの領邦諸国家の国制は,西欧諸国と同様に絶対主義のそれであり,18世紀後半には絶対主義は啓蒙絶対主義の段階に入る。啓蒙絶対主義はプロイセンのフリードリヒ2世,またオーストリアのヨーゼフ2世など大国の君主の統治様式に見られるのみならず,ザクセンのフリードリヒ・アウグスト3世義人公Friedrich August III der Gerechte(在位1763‐1827)やザクセン・ワイマールのカール・アウグストKarl August(在位1775‐1828)等中小国にも数多くの例をもって,18世紀後半のドイツ諸国の政治を特徴づけている。…

【プロイセン】より

…領土の面では,1772年の第1次ポーランド分割を通じて,西プロイセンを併せ,東プロイセンをブランデンブルクと結びつけることができた。内政面におけるフリードリヒの諸改革は,〈啓蒙絶対主義〉の模範とされている。しかし殖産興業や司法の近代化,学校教育の改善,宗教上の寛容政策などの成果にもかかわらず,この王のもとでもユンカーの領主支配権は侵害されることなく,貴族は軍隊における将校団として,また高級官僚として,プロイセン絶対王政のおもな支柱となった。…

※「啓蒙絶対主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

啓蒙絶対主義の関連キーワードアナクレオンイタリア官房学グリンカ敬虔主義ドイツ観念論西ドイツダカーポアリアТобольскРжев

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone