善能寺(読み)ぜんのうじ

日本歴史地名大系 「善能寺」の解説

善能寺
ぜんのうじ

[現在地名]和歌山市道場町

感応山と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。江戸中期の当寺六代明択の時に書かれた縁起(寺蔵)によると、雑賀さいか宇治うじみなと(現和歌山市)地頭職宮本平大夫政家(明善)が明応三年(一四九四)春に旅僧より本願寺八世蓮如の六字名号を得て浄土真宗に帰依し、文亀三年(一五〇三)に絵像を下付されたという。ただし当寺は興正こうしよう(現京都市下京区)性応しようおう(明治初年まで現和歌山市に所在)末であり、性応寺の取次により興正寺の下で道場になったと考えたほうがよかろう。石山合戦の際、二代目宮本平大夫は雑賀年寄衆の代表格の一人とし活躍し、本願寺一一世顕如から感状(寺蔵)を送られている。


善能寺
ぜんのうじ

泉涌寺の西、安楽光あんらくこう院跡に所在する塔頭。安楽光院は、もと西洞院上立売にしのとういんかみたちうり(現京都市上京区)にあったが、文明七年(一四七五)焼失。元和(一六一五―二四)の頃に泉涌寺塔頭としてこの地に再建されたが、廃絶に至る経緯は不詳。善能寺は弘仁一四年(八二三)僧空海の開基と伝え、初め八条の北猪熊いのくま(現京都市下京区)にあって二階堂と称し、聖観音を本尊とし、嵯峨天皇勅願寺とされたが、その後の経緯は不詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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